11月19日(木) 曇りのち晴れ
大峯奥駈道を吉野から歩き始めたなら、当然その最終目的地は熊野本宮大社ということになるでしょう。昨日までの山中生活のリズムが抜けず、朝5時前に目を覚まし、8時に宿を後にしました。
まず向かったのは、昨日見下ろした大斎原。日本一とも言われる大鳥居の下を通り旧社地まで見に行きます。鳥居自体はできて10年も経っていないのでありがたみもないんですけどね。
現在の本宮は道路を挟んで向かい側。歩いて5分。うっそうとした杉林の前にちょこんと鳥居があり、そこから入っていきます。ゆっくり歩いてきて今は8時30分。観光名所にもなっているとはいえ、まだ訪れる人もほとんどいないようです。静かにお参りできるかな・・・と思ったら、ちょうどやってきた団体さんと鉢合わせ。突如としてあたりは喧騒に包まれます。
みなさんが団体写真を撮っている隙に一足先に社殿へ。それはやっぱり静かなほうが好ましいですから。
明治時代の水害を免れ、移設されたという社殿はこの門の中。残念ながらこの先の一番いいところは写真撮影禁止なのだそうです。せめてこの門だけでもと思って撮影に勤しんでいると、さきほどの団体さんがやってきて・・・。先に入られちゃった・・・。一人静かに楽しむというわけにはいかなかったですね。しょうがありません、観光地なんですから。賑やかなのもそれはそれでいいものです。
中に入ってぐるりと見回すと、思っていたよりも狭い場所にみちっと社殿が寄せ建てられていました。桧皮葺の屋根の古びた感じが心をくすぐってきます。なんかこう好きなんです、そこで歴史を見続けてきたような古いものが。
これでやっと奥駈道に一区切りがつきました。歩きに歩いた修験の道。大雪山の原生自然とは全く別種の魅力がありましたし、なにより1週間も山の中にいられました。これだけ長く山に入ったのは久しぶりだったので、そういう意味では「研修」というのもあながち言い訳とは限らないかも知れません。
本宮に参拝したら、あとは紀伊田辺まで移動するだけ。どうして紀伊田辺かというと、そこに泊まってみたい宿があったからです。アジアの安宿臭をプンプン漂わせている宿が。他に何があるかは知りませんが、とにかくそこに泊まるためだけに行くわけです。後の問題はどうやっていくかだけ。直通のバスで行くのは面白くありません。二日かけて熊野古道を歩いていくのは、もうさすがに歩き疲れちゃいました。じゃあどこか寄り道しながら・・・。
かつて京から熊野詣でに出た貴族は、本宮へお参りした後、速玉大社まで熊野川を舟で下ったそうです。それにならって行くのもいいかもしれません。そんなわけで速玉大社のある新宮まで、バスで向かいます。
速玉大社にも観光バスが何台もやってきていて、たくさんの観光客で賑わっています。こちらの社殿は撮影しても問題ないようです。すぐに目に付くのは鮮やかな朱色。あまり古びた感じがないのが残念なところですが、往時の姿を忠実に再現しているのかもしれません。ドギツさの一歩手前で留まったギリギリの品の良さ、とでも言えばいいでしょうか。
速玉大社を辞するとちょうどお昼どきでした。このあたりの名物めはり寿司をいただくことにします。めはり寿司が再注目されたきっかけのお店ということで、観光協会でオススメされたお店に行ったのですが、中に入るとお客さんは誰もいません。この時間帯で賑わっていないなんて、味がどうこう以前に帰りたくなってしまいます。寂しい店内で待つこと十数分。食す。うん、まあ、こんなもんか。次行きましょう。
新宮駅から特急に乗り、3時前に紀伊田辺着。地方都市としては活気のある駅前です。ここで一つ問題が発生。泊まりたい宿に予約の電話を入れると、今日は6時過ぎまでチェックインできないとのこと。3時間どうやって時間をつぶそうか・・・。
ということで、まずやってきたのは太平洋を見渡す海岸公園。その名も「カッパーク」。名前のセンスはともかくとして、海を眺めるにはもってこいの素敵な公園です。とても11月とは思えない陽気に身を委ね、しばし海と語らってしまいました。でも1時間が限界。その後、町中をふらふらしながら弁慶ゆかりの神社を訪ね(紀伊田辺は弁慶の生まれた地だそうです)、再び駅に舞い戻りました。どこか喫茶店でもと思いましたが、そもそも喫茶店が目につきません。仕方なく残る1時間半を駅の待合室で過ごしました。寒いんですよね、こっちの建物って。地元の子供は半ズボンで平気な顔してDSやってましたが、道産子は軟弱なもので。
6時になるころには体はすっかり冷え切ってあたりも真っ暗になっていました。歩いて5分の宿に移動。ようやく落ち着くことができました。
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