2009-12-07

近畿山行・8日目 大峯奥駈道7

11月18日(水) 晴れ

昨晩とても嬉しいことがありました。ついに!ようやく!!吉野から6日間ずっと持ち続けてきた予備の水2.5Lを使うときがきたのです!!!昨日泊まった展望台には水飲み場のようなものはなく、沢などもなかったため、もしものときのために持ってきていた水がやっと役に立ったのです。重たい思いをしてここまで持ってきた甲斐がありました。もし最後まで使わないで歩き通してしまったら、さすがにそれはあんまりでしょう。6日間使わなかったというのも大概ですが・・・。2.5Lの水は、夕食・朝食・行動用に使うとちょうどぴったり無くなりました。食料もあらかた無くなったし、ガスもだいぶん減っているし、さらに余分な水も無いとくれば、今日はかなり楽して歩けそうです。

テントから出た瞬間、ビックリするくらい鮮やかな光景が目に飛び込んできました。それはオレンジ色の帯。ちょうど登り始めた太陽が、目の前の山並に朝日を投影していたのです。わずかに開いた雲の隙間から日が射しているので、それに対応したごく狭い範囲だけが朝焼けの色を映します。

太陽の方向を見てまたビックリ。雲の隙間を突いて陽光が柔らかく広がっているのです。

さらにその光はススキに当たり、枯れたススキを燃えるような色に染め上げていました。昨日一日雨の中を歩いた苦労が、これですっかり報われたような気がします。大峯奥駈道最終日は、こうして最高のスタートを切りました。

歩くこと十数分。見晴らしの良いテラスの横に世界遺産の石碑がドーンと置かれていました。そうか、ここは世界遺産の真っ只中でした。すっかり失念していました。でもたしか、世界文化遺産として登録されているのは「霊場と参詣道」ですよね?その参詣道の真上に新しくこんなものを作るというのは・・・いったいどうなんでしょう。せっかくですから車道も駐車スペースもなくしてしまって、往時のようにみんな歩いて訪れるようにするほうが理にかなっているのではないでしょうか。

気を取り直して車道に別れを告げます。落葉した木々が左右に並ぶゆるやかな尾根をたどって玉置山まで。玉置山山頂には様々な建物が点在し、山頂らしくないというか、ある意味山頂らしいというか。

山頂を過ぎるとすぐに杉の密生する急な下りになります。階段をズンズン下って行きますが、なかなか玉置神社は現れません。本当にこの道であっているんだろうかと、少しずつ不安が膨らんできます。というのも、実は山頂付近で標識のない分岐があったのです。地形図を確認すると、なんと分岐どころか一本の道も記されていません。標識はない地形図も頼りにならない。で、えいやっと適当に片方を選んできたわけです。こういうとき、一面深い雪に覆われているとかえって楽なんですよね。行きたい方向を定めたら、後は地形を見て安全で歩きやすいルートを自由に選択すれば良いだけですから。

本当にこの道でいいのかなと徐々に高まる不安は、次々と鳥居が現れてくれたお陰で解消されました。鳥居=神社。きっともうすぐ玉置神社も見えるに違いありません。

そしてついにやってきました、深く高い杉木立に囲まれた玉置神社です。山の斜面を巧みに切り開き、あちらにお社こちらに鳥居と沢山の建物が配されています。早朝の爽やかな空気、苔生した石垣、幾重にも重なる杉の枝、そこを通して届く木漏れ日、朝のお勤めに出てきた神職さん。そのどれもこれもが神聖なものとして肌から染み込んでくるような気がします。宗教とか信仰に疎い私でも、こういう場所に来ると、意識の深いところに沈んでいる自然信仰的ななにかを揺さぶられるのでしょうか。

玉置神社の標高は約1000m。ここから標高50mの熊野本宮を目指してぐんぐん下っていきます。「ぐんぐん下って」なんて言ったって、もちろん奥駈道ですから下りっぱなしというわけにはいきません。下ったと思ったら登り返してピークに立ち、また下ってまた登り返して次のピークと繰り返します。そしてピークに立つ度に少しずつ標高が下がっているという寸法です。大森山1044.9m、五大尊岳825m、大黒天神岳573.6m。標高が低くなったことで、明らかに植物の生え方も変化しました。押しつぶされんばかりに潅木が生い茂っている場所があるかと思えば、

シダが青々と伸びている場所もあるのです。11月にシダ・・・。去年・一昨年と西日本を旅してきて、照葉樹というのでしょうか、北海道では見慣れない常緑広葉樹には多少免疫がつきました。でもさすがにこの時季のシダにはちょっとしたショックを受けます。

さらにツツジが花を咲かせているのですから、もう開いた口がふさがらないとはこのことです。まったく日本は広いものです・・・。

大黒天神岳から先はトレイルの感じがガラリと変わりました。極端な登り下りがなくなり、あっても今までよりはるかに緩やかなのです。優しくなった、と言ってもいいかもしれません。ゴールはもう近いのでしょう。

長い長い樹林の中を歩いてきて、一瞬右手に展望が開けました。広い河原を持つ川が大きく蛇行しながら流れています。熊野川です。奥には見えているのは果無山脈でしょうか。人里も見えています。今回の奥駈道縦走では7日間のうちほとんど人と会わずに過ごしてきました。ようやく再び人の住む世界に戻ってきた感慨は何とも言えないものがあります。

そして杉林の中に立っていた「本宮」を示す道標。一歩一歩着実にゴールへと向かっている実感。

そしてなによりも。道端の木に打ち付けられていた古い看板に「和歌山県」の文字を見つけたときの気持ちと言ったらありません。スタート地点の奈良県吉野から延々歩き続けて、そしてついに和歌山県に入ったのです。和歌山県に来たのはこれが初めて。徒歩で初めての県に入るというのは、あまりできない経験なのではないでしょうか。

再び右手に視界が開けたとき、そこに見えたのは大斎原です。明治時代に水害に遭うまで熊野本宮が置かれていた場所です。今では大きな鳥居が建てられているので、山の上からでもその存在はよくわかります。ここからわずか右手側に現在の熊野本宮があるのですが、木々に隠されているので建物までは見えませんでした。

早朝は厚い雲が目立っていた空も、今やすっかり晴れ渡りました。この青空が7日間で最も気持ちよく感じるのは、もうすぐ歩き終えるという感傷からでしょうか?

最後を締めくくるピークは七越峰。周囲は公園として整備されていて、広場やらアスレチックやらが目につきます。道は狭いものの車も登って来られそうです。つまりこうやって少しずつ俗世に慣らしながら下界に降りられるようになっているということでしょう。いきなり人が沢山いて商店があったりバスが走っている町に出たら、あまりの違いにびっくりしてしまいそうですから。

七越峰からの下りでまた少し迷ってしまいました。道が錯綜していて標識が若干不親切だったのです。これも里が近い証左。さあ、最後の下りです。

標高も100m程度となり、もう本当に最後の最後と思ったところで、もうひとつオマケとばかりに登り返しがありました。さすが奥駈道!一本芯が通っているというか、最後まで決して楽させてはくれません。

熊野川の畔まで下ってきて、最後に立っていた標識は今までほど立派なものではありませんでした。朽ち始めた木の片面に「大峯奥駈道」と書いてあるだけの簡素なものです。でもそれがなぜか、7日間歩き通したゴールには相応しい気がします。ひっそりと心静かに。1週間に渡る大峯奥駈道縦走はこれでおしまいとなりました。

今日の行程
玉置山展望台-玉置神社-大森山-大黒天神岳-七越峰-備崎
 06:47 玉置山展望台 発
 07:29 玉置神社 着
 09:10 大森山 着
 10:17 五大尊岳 着
 11:37 大黒天神岳 着
 12:49 吹越権現 着
 13:44 七越峰 着
 14:26 備崎 着
所要時間:7h39
歩行距離:17.2km
累積標高:+1307m/-2200m

2 件のコメント:

もっち さんのコメント...

大峰奥駈道6泊7日お疲れ様でした。
(最後の写真)一段と人物が大きくなられたようですね(笑)。

どうでもよい事ですが、1枚目朝日の当たる山々は、中央が熊野川の向こう岸のもう一つの行仙岳1091m、中景左の人工物のあるのが小原峰、手前右のシルエットが斧山(よきやま)829mのというようです。名前に惹かれます。

名前に惹かれると言えば、果無山脈。10枚目右奥のポコの右隣が最高峰の冷水山(果無山)1262mのようです。名の割りに地味ですが、昔の里の人々にとっては、東西25kmを超えるこの山脈が、果ての無いかと思われる回り道を強いたところからきた名前なのか。物語でもあるのでしょうかねえ。

DOEI Takuma さんのコメント...

実際にはかなり痩せました。
下山直後に計ることができたなら、きっとびっくりするような数字が出ていたと思われます。
体脂肪も10%を切ったことでしょう。
今ではすっかり元に戻っちゃいましたが。

写真を撮った本人ですら、展望台からどっち方向の山だったかはっきりとは覚えていないのに、どうしてそこまでわかってしまうのですか?

果無山脈は今では稜線上に登山道がついていますね。
展望の稜線歩きにはならないでしょうけど。