6月に入ってから今日に至るまで、もうずっとずうっとはっきりしないグズついたお天気の続く大雪山。すっきりと気持ちよく晴れたのはいつ以来だろう?というくらい雨の日が続き、雨の降らない日もせいぜい曇りになる程度。旭川では今日までの直近9日間、毎日降雨を観測しているくらいです。札幌では平年の3.4倍も雨が降っているという話もあります。
山行はことごとく中止になるし、催行しても雨具を着てばかりだし。
私は本州の梅雨を知りませんが、これがきっと梅雨というものなのでしょう。そもそも北海道のこの悪天は、梅雨前線が北上し停滞していることが原因なのですから、これが梅雨でないわけがありません。
そろそろ気持ちよく晴れてほしいものですが・・・
2009-07-26
2009-07-23
岩にはイワの花が咲く
2009-07-21
花盛り・裾合平
トムラウシの遭難について
きのう、忠別岳避難小屋から高原温泉へ下山しました。18日にクチャンベツ登山口から五色ヶ原・五色岳を経て忠別岳避難小屋に泊まり、19日に忠別小屋からトムラウシ山頂を往復、20日に高根ヶ原・白雲岳避難小屋経由で下山という予定でしたが、19日は雨と強風のためトムラウシ登頂を諦め、一日停滞となりました。
天気図をとるために持っていったラジオで終日ニュースを聞いていると、トップはほとんど、トムラウシでの大量遭難についてのものでした。ニュースを聞いていて抱いたのは「何も変わっていないなぁ」という思いでした。
関心のある方は「時期外れのツアー登山」というタイトルで、2001年6月に佐久間が書いた記事を読んでみてください。
関連記事としては以下のものもあります。
異議あり!「百名山」
今回の遭難事件(これは「事故」ではないと考えます)の本質は、利益第一主義の旅行業界の体質だと、私は考えています。航空機や鉄道の事故と同様に、利益を重視すると安全は軽視されざるを得ません。以下は憶測に過ぎませんが、ツアーリーダーなりガイドなりが、悪天候のなか出発を決行したのは、安全よりも会社の損失を減らすことに判断が傾いた結果だと思います。
これから刑事・民事の裁判を通じて事実が明らかにされていくと思いますが、今回の大惨事の責任を現場のガイドのみに押しつけ、会社の責任を軽視するような判決が出されることのないよう、強く望みます。
以前穂高の山小屋で働いていた頃、高山病で亡くなった方の遺体搬出を手伝ったことがあります。モノになってしまった人の身体の、筆舌に尽くしがたい独特の"重み"は、いまでも忘れることが出来ません。亡くなった方々や御家族、救助にあたった関係者の無念さを思うと、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと、強く思います。
亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
天気図をとるために持っていったラジオで終日ニュースを聞いていると、トップはほとんど、トムラウシでの大量遭難についてのものでした。ニュースを聞いていて抱いたのは「何も変わっていないなぁ」という思いでした。
関心のある方は「時期外れのツアー登山」というタイトルで、2001年6月に佐久間が書いた記事を読んでみてください。
関連記事としては以下のものもあります。
異議あり!「百名山」
今回の遭難事件(これは「事故」ではないと考えます)の本質は、利益第一主義の旅行業界の体質だと、私は考えています。航空機や鉄道の事故と同様に、利益を重視すると安全は軽視されざるを得ません。以下は憶測に過ぎませんが、ツアーリーダーなりガイドなりが、悪天候のなか出発を決行したのは、安全よりも会社の損失を減らすことに判断が傾いた結果だと思います。
これから刑事・民事の裁判を通じて事実が明らかにされていくと思いますが、今回の大惨事の責任を現場のガイドのみに押しつけ、会社の責任を軽視するような判決が出されることのないよう、強く望みます。
以前穂高の山小屋で働いていた頃、高山病で亡くなった方の遺体搬出を手伝ったことがあります。モノになってしまった人の身体の、筆舌に尽くしがたい独特の"重み"は、いまでも忘れることが出来ません。亡くなった方々や御家族、救助にあたった関係者の無念さを思うと、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと、強く思います。
亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2009-07-19
他人事の非難ではなく、自分のこととして省みよう
前回の記事「夏の寒さ」に“もっち”さんがくださったコメントに対して、お返事がちょっと長くなってしまったので別記事とすることにしました。
登山を趣味とされる皆様のご家族は、今回の遭難を聞いてさぞご心配されることでしょう。もっちさんの言うとおり、一人一人が考え、答えていかなければならないのだと思います。
今回の件についても、「悪天候の中どうして出発したのか」と後から糺すことはとても簡単です(マスコミの論調もそうなっています)。それは遭難という結果を見てから後出しで言っているからです。他人事としての非難と言ってもいいでしょう。こういう批判とも言えない批判は、野次馬的興味を煽るだけで、意味も意義も大してありません。
私たち登山者(そしてなによりガイド)がしなければならないのは、「もし自分だったら?」という自省です。ヒサゴ小屋で実際に同じ状況に置かれた時に、はたして自分は正しく行動できたのだろうかと、我が身に置き換えて考えることです。
自信を持って「自分は絶対大丈夫」と答えるならば、その人は遭難予備軍の一人に違いありません。遭難という結果が出る前に、可能性を予測し決断をする。これはかなり難しいものです。同じ日にヒサゴ小屋を出発し(幸いにも)下山したパーティーがいたことを忘れてはいけません。遭難せずに済む可能性もある中で、遭難する可能性を選び取ることが如何に困難であることでしょう。
今回の遭難については、論点が3つあるように思います。1つは悪天候の中なぜ出発したのか。2つめはメンバーの装備は十全だったか。3つめはパーティーがバラバラになったのはなぜか。
1)
悪天候の中出発したことについては、ツアー行程に余裕がないことに大きな問題があり、それは主に企画した会社側の責任です。現場のガイドが悪天停滞を決断しにくい環境があらかじめ作られていたわけです。私たちは予備日の重要さをあらためて認識しなければなりません。
2)
メンバーの装備(主に服装)と事前の確認については、私たちも多いに反省しなければならない点です。全員が必要充分な装備を用意することは山行の大前提だからです。
3)
そして今最も知りたいことは、「なぜ次々にパーティーを割っていったのか」です。その決定を導くに至った理由・条件は何だったのでしょう。パーティーを分けずに全体で停滞しろ、ヒサゴ小屋まで引き返せ、と言うのは簡単です。先ほども言ったようにそれは後出しに過ぎません。私たちがしなければならないのは、そういう決断をできなかったのはなぜか、自分がその状況に置かれたら果たしてどうしただろうか、よく考えることです。そのためには、詳細な事実関係を知らなければなりません。
今のところ考えなければならないのは、
・ツアー行程に余裕がないため、その日のうちに下山しなければならないという心理的圧力がなかったか
・パーティーの人数が多すぎたのではないか
・3名いたガイドに信頼関係があったか(今まで一緒に仕事をしたことがあったか)、役割分担がしっかりできていたか
・3名のガイドのうちトムラウシを知っている人が1名しかいなかったことが、決断を誤らせたのではないか
というあたりでしょうか。今後の解明が待たれます。
山を愛する皆さん。今回の遭難は決して他人事ではありません。ぜひ自分のこととして考えてみてください。二度と同じ悲劇が繰り返されないように。
登山を趣味とされる皆様のご家族は、今回の遭難を聞いてさぞご心配されることでしょう。もっちさんの言うとおり、一人一人が考え、答えていかなければならないのだと思います。
今回の件についても、「悪天候の中どうして出発したのか」と後から糺すことはとても簡単です(マスコミの論調もそうなっています)。それは遭難という結果を見てから後出しで言っているからです。他人事としての非難と言ってもいいでしょう。こういう批判とも言えない批判は、野次馬的興味を煽るだけで、意味も意義も大してありません。
私たち登山者(そしてなによりガイド)がしなければならないのは、「もし自分だったら?」という自省です。ヒサゴ小屋で実際に同じ状況に置かれた時に、はたして自分は正しく行動できたのだろうかと、我が身に置き換えて考えることです。
自信を持って「自分は絶対大丈夫」と答えるならば、その人は遭難予備軍の一人に違いありません。遭難という結果が出る前に、可能性を予測し決断をする。これはかなり難しいものです。同じ日にヒサゴ小屋を出発し(幸いにも)下山したパーティーがいたことを忘れてはいけません。遭難せずに済む可能性もある中で、遭難する可能性を選び取ることが如何に困難であることでしょう。
今回の遭難については、論点が3つあるように思います。1つは悪天候の中なぜ出発したのか。2つめはメンバーの装備は十全だったか。3つめはパーティーがバラバラになったのはなぜか。
1)
悪天候の中出発したことについては、ツアー行程に余裕がないことに大きな問題があり、それは主に企画した会社側の責任です。現場のガイドが悪天停滞を決断しにくい環境があらかじめ作られていたわけです。私たちは予備日の重要さをあらためて認識しなければなりません。
2)
メンバーの装備(主に服装)と事前の確認については、私たちも多いに反省しなければならない点です。全員が必要充分な装備を用意することは山行の大前提だからです。
3)
そして今最も知りたいことは、「なぜ次々にパーティーを割っていったのか」です。その決定を導くに至った理由・条件は何だったのでしょう。パーティーを分けずに全体で停滞しろ、ヒサゴ小屋まで引き返せ、と言うのは簡単です。先ほども言ったようにそれは後出しに過ぎません。私たちがしなければならないのは、そういう決断をできなかったのはなぜか、自分がその状況に置かれたら果たしてどうしただろうか、よく考えることです。そのためには、詳細な事実関係を知らなければなりません。
今のところ考えなければならないのは、
・ツアー行程に余裕がないため、その日のうちに下山しなければならないという心理的圧力がなかったか
・パーティーの人数が多すぎたのではないか
・3名いたガイドに信頼関係があったか(今まで一緒に仕事をしたことがあったか)、役割分担がしっかりできていたか
・3名のガイドのうちトムラウシを知っている人が1名しかいなかったことが、決断を誤らせたのではないか
というあたりでしょうか。今後の解明が待たれます。
山を愛する皆さん。今回の遭難は決して他人事ではありません。ぜひ自分のこととして考えてみてください。二度と同じ悲劇が繰り返されないように。
2009-07-17
夏の寒さ
先日、しとしとと雨が降る中、裾合平経由で姿見から黒岳まで歩いたときのこと。
お鉢平の稜線に出た瞬間、今まで経験した中で一番強いんじゃないかというくらいの猛風に見舞われました。風速計は持っていませんでしたが、感覚的にはこの日を悠に上回っていました。つまり平均風速で20m/s以上。強風の中歩くことには比較的慣れているはずなのに、踏ん張っていても体が登山道外に押し流されていくほどでした。口の周りの空気が薄くなり、呼吸が苦しい感じすらしました。
この日は気温も低く、麓の旭川市でも最高気温17.5℃にしかなっていません。一般的な気温低減率で計算すれば、標高2000m以上の稜線では、最高気温で5℃前後。
雨・風・低温。見事に三拍子揃ったわけです。普段の服の他に、長袖の下着上下と長袖の上着を着こみ、もちろん雨具も着ていましたが、黒岳石室に着いたときにはすっかり体が冷え切っていました。かなりペースを上げて歩いて体温を上げてきたにもかかわらず・・・。
これが7月の大雪山です。大雪山の寒さです。たとえ本州で猛暑日を記録するような日だとしても、北海道の高山帯では氷点下にまで気温が下がる可能性があります。真夏であってもダウンジャケットは必須ですし、魔法瓶にお湯は入れておかなければなりません。それが大雪山なのです。
昨日から今日にかけて、大雪山系で遭難が相次いでいます。いずれも本州からのツアー登山だそうです。地元の私たちですら“妙に寒い”と感じるこの気象条件ですから、大変厳しい状況に置かれていることは想像に難くありません。皆さんの無事を祈っています。
それにしても、2002年の大量遭難のときの教訓がまったく活かされていないことには衝撃を受けます。北海道の気候が本州とは別物であること、大雪山の高山帯が逃げ場のない吹きさらしであること、最奥部に入れば営業小屋はおろか避難小屋すらまばらであること、こういった注意すべき諸々が忘れられているのではないでしょうか。
確かに大雪山には山岳的な険しさはなく楽々お散歩気分で歩けるかもしれません。でも、気象について言えば国内屈指の厳しさがあります。普段はその厳しさが隠れているだけ、ということを、特に道外から来る方は肝に銘じておいて欲しいと思います。もちろん私たち地元の人間も。
自戒を込めて。
お鉢平の稜線に出た瞬間、今まで経験した中で一番強いんじゃないかというくらいの猛風に見舞われました。風速計は持っていませんでしたが、感覚的にはこの日を悠に上回っていました。つまり平均風速で20m/s以上。強風の中歩くことには比較的慣れているはずなのに、踏ん張っていても体が登山道外に押し流されていくほどでした。口の周りの空気が薄くなり、呼吸が苦しい感じすらしました。
この日は気温も低く、麓の旭川市でも最高気温17.5℃にしかなっていません。一般的な気温低減率で計算すれば、標高2000m以上の稜線では、最高気温で5℃前後。
雨・風・低温。見事に三拍子揃ったわけです。普段の服の他に、長袖の下着上下と長袖の上着を着こみ、もちろん雨具も着ていましたが、黒岳石室に着いたときにはすっかり体が冷え切っていました。かなりペースを上げて歩いて体温を上げてきたにもかかわらず・・・。
これが7月の大雪山です。大雪山の寒さです。たとえ本州で猛暑日を記録するような日だとしても、北海道の高山帯では氷点下にまで気温が下がる可能性があります。真夏であってもダウンジャケットは必須ですし、魔法瓶にお湯は入れておかなければなりません。それが大雪山なのです。
昨日から今日にかけて、大雪山系で遭難が相次いでいます。いずれも本州からのツアー登山だそうです。地元の私たちですら“妙に寒い”と感じるこの気象条件ですから、大変厳しい状況に置かれていることは想像に難くありません。皆さんの無事を祈っています。
それにしても、2002年の大量遭難のときの教訓がまったく活かされていないことには衝撃を受けます。北海道の気候が本州とは別物であること、大雪山の高山帯が逃げ場のない吹きさらしであること、最奥部に入れば営業小屋はおろか避難小屋すらまばらであること、こういった注意すべき諸々が忘れられているのではないでしょうか。
確かに大雪山には山岳的な険しさはなく楽々お散歩気分で歩けるかもしれません。でも、気象について言えば国内屈指の厳しさがあります。普段はその厳しさが隠れているだけ、ということを、特に道外から来る方は肝に銘じておいて欲しいと思います。もちろん私たち地元の人間も。
自戒を込めて。
2009-07-07
夏山の賑わい
2009-07-05
2009-07-02
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