2008-12-29

降るわ降るわ

暖かく、雨すら降った12月。クリスマスを過ぎてこんなに雪が無くて大丈夫?というほど少雪だったのですが、結局辻褄を合わせるように、わっさわさ降ること降ること。

12月25日(木)はアスファルトがつるんと見えているほどでした。と・こ・ろ・が!

それから3日間ほぼ休むことなく雪が降りしきり、何度も何度も雪かきをして除けた雪が山となって、29日(月)にはこの有様。

26日~28日の3日間の合計降雪は68cm。こんなに降っていたとは、どおりで雪かきしたそばからまた積もっていくはずです。まあ、これで低山でのスノーシューが楽しめるようになると思えば、雪かきも苦ではありませんが・・・

2008-12-24

四国山行17日目 札幌

12月6日(土) 雪


雪の北海道に帰ってきました。日程を決めずに旅立ち、気がつけば2週間以上になっていました。全17日間のうち、11日を山に費やしました。これだけお休みをいただいて、これだけあちこちの山に登ってくれば、英気は養われやる気に満ちあふれ充電が完了したこと間違いなし。これから始まるスノーシューシーズンに、全力で取り組んでいけそうです。

来年はどこに行こうかな?

四国山行16日目 夜行列車

12月5日(金) 雨


飛行機の片道券だけを持ち、帰りのことは日にちも手段も何も考えずに出発した今回の旅。関西から北海道に帰るのに考えられるのは
 1)飛行機
 2)フェリー
 3)鉄道
くらいでしょうか。

飛行機は移動時間の短さは一番ですが、ある程度早くに購入しておかなければ運賃が高い。高すぎます。フェリーは丸一日乗船していなければなりませんが、時間に余裕があるならオススメ。広いカーペットでごろごろしながら本を読んだり、お湯をもらってコーヒーを淹れたり。自由に過ごすことができます。しかも安い。難点は出入港の時刻。真夜中に出て夜中に到着するので、前後の移動がやや面倒になります。

いろいろ考えた末、今回選んだのは鉄道でした。ちょうど大阪-札幌間には直通の夜行が走っています。夜行列車という手段は、金額的にみても所要時間的にみても飛行機とフェリーの中間となり、半端と言えば半端なのですが、正直に言えば久々に乗りたかったわけです。お昼に出て翌朝到着というのも便利ですし。

所要22時間。ほとんどまる一日を車内で過ごすことになります。食堂車や車内販売は利用しないつもりですので、乗車前の食料買い出しは大切な仕事となります。大阪駅周辺で昼・夜・朝の三食分を買い込み、ビニール袋だらけになりながらホームへ。 はかったかのようにちょうどトワイライトエクスプレスが入線してきました。

トワイライトエクスプレスはスイートとかロイヤルとか高級な部屋の人気が高く有名なようですが、私が乗るのは当然一番安いB寝台。大荷物があるので体を伸ばして寝られなさそうです。4人一組で一区画。大阪からは他に誰も乗ってきませんでしたが、これから同乗の人は現れるのでしょうか。

キラキラしてるサロンカー。乗車中、寝ている時以外はほとんど全ての時間をここで過ごしました。窓が大きくて景色を眺めるには最適なのです。やっぱりいいなあ鉄道の旅。移りゆく景色さえ眺められれば、2日でも3日でもずっと楽しく乗り続けられる自信があります。

唯一残念なのは、日没が早いのであっという間に外の景色が見られなくなるところ。はっきりと楽しめたのは富山まででした。日本海や東北の町並みをもっともっと見ていたかったのに、明日の朝再び明るくなるころにはもう北海道の見慣れた景色になっているなんて。白夜だったらいいのに。

2008-12-23

四国山行(?)15日目 伊吹山

12月3日(水) 快晴


昨日に続き今日も近畿の山登り。短時間で登れてしかも展望の良い山に行きたい!そんな私のリクエストに応えてくれて、向かった先は伊吹山。あ、どこかで聞いたことがある名前。道外の山に疎い私が知っているくらいですから、きっと有名な山なんでしょうね。どんな景色が見られるか楽しみです。

ロープウェイの山麓駅を横目に細い道路を車でくねくねと登っていくと、広々としたスキーコースのただ中に飛び出し、そこから登り始めることになります。ここは五合目ということになるようですが、山腹からこんな伸びやかな景色が広がるなんて、やるじゃないか伊吹山!歩く前からこの山を気に入り始めています。こういう、高さよりも広さを感じさせる山は本当にいいものです。

つづら折り・つづら折り・つづら折り。高木の一本もない見晴らしの良い急斜面をぐいぐい登っていきます。これだけすっきりと見渡せると高度感も抜群。遠くが霞んでいるのも高山から見下ろしている気分を高めてくれます。この斜面が夏にはお花畑になるのだとか。そう言われてみれば、この葉はフウロかな?こっちはキンバイっぽい?

途中、なにやら調査をしている方々にお会いしました。見るからに博識そうなので、お忙しいとは思いつつもいくつか質問させていただき、植生・地質・歴史などいろいろお教えいただきました。後から知ったところ、伊吹山を守る会の顧問をしてらっしゃる高名な先生だったとか。貴重なお話ありがとうございました。

約2時間で山頂部に到着。広々とした山頂部には様々な建物が並び、さながらちょっとした観光地のように見えます。その外れにひっそりと山頂標識が立っていました。

山頂部全景。この広がりにはかなり驚かされました。グラウンド何個分とかドーム何個分とかそういうレベルです。高くて広くて平らな山。これは私の好みそのもの、ど真ん中。これで2~3泊歩き続けられれば言うことないのですが。

もちろん周辺の登山者にとっても魅力的な山のようで、こんなに広いというのにお花の時期には人であふれかえると聞きました。ここが埋まるなんて、いったいどれだけの人数が集まるというのでしょう。

山頂からの北側の景色。案内板によるとこちらに白山が見えるらしいのですが・・・。霞の向こうに白い頂が見えているような見えていないような。

下山中、今度はカモシカ観察をしている方々にお会いしました。再び好奇心がむくむく。高倍率のフィールドスコープを覗かせてもらい、カモシカがエサを食む姿を見せていただきました。北海道では見ることができない動物ですから、たとえお尻しか見せてくれなかったとしても嬉しいものです。

短時間で登れる景色の良い山。伊吹山は期待以上の素敵な山でした。

2008-12-22

四国山行(?)14日目 武奈ヶ岳

12月3日(水) 晴れ


早朝、大覚寺そばの先輩宅を辞し、JR嵯峨嵐山駅から京都駅へ。まだ暗い時刻だというのに通勤通学の人で席はいっぱい。みんながみんな目を閉じて休んでいます。なんだか旅をして遊び歩いているのが申し訳なく感じる都会の朝の光景です。

今日は昨年もお世話になった大阪の知人と再会し、武奈ヶ岳という山に連れて行ってもらうことになっています。いったいどんな山なのでしょう?全く情報を持たずに山を登るというのもドキドキしていいものです。

京都駅から大原を抜けさらに北上し、やってきた山間の集落。見事な紅葉を横目に登山開始。

前半は植林地の急登でした。よく植林の中を歩くのはつまらないと言われるようですが、見慣れない樹種であれば植林でも興味深く眺められるものです。この木何の木?

急登で一気に標高を稼いだら、しばらく緩やかに落ち葉の道が続きます。晩秋を体感させてくれる気持ちの良い道です。

御殿山を越えると、そこから先はたおやかな稜線が武奈ヶ岳まで続いていました。高木もほとんどなく景色を遮るものがないというが魅力的です。標高1000mそこそこでこんなに素敵な山があるとは、近畿侮り難し。連れてきてくれてありがとうございます!最高です!

きょろきょろ景色に気を取られているうちに、あっという間に山頂到着。

立派な山頂標識の後にはお地蔵さん。みんなそろって琵琶湖の方向を向いて座っています。そう、この山頂からは琵琶湖が見えるというのです。

ほら、こっちに!・・・こっちに・・・こっちの雲海の下に・・・ある・・・のですか?あるのですね?いや、湖が見えなくたって、これはこれで素敵な景色ですよ。

下山後は登山口付近で紅葉を楽しみます。黄色いモミジも今が盛り。

赤いモミジはすっかり葉を落とし。晩秋の武奈ヶ岳はとても素晴らしい低山でした。

2008-12-21

四国山行(?)13日目 京都 

12月2日(火) 快晴


小豆島から姫路・大阪と経由して、阪急嵐山駅に到着したのは21時。昼日中なら観光客であふれかえっているはずの嵐山も、こんな時刻となっては誰も歩いていません。渡月橋ですらすれ違う人もなく寂しいものです。

北海道の家は、暖房をガンガン焚き窓も2重だし壁には断熱材がたっぷりなので、冬でも暖かい。対して本州の家屋はそのいずれもが欠けていて、室内が寒い。これはもはや国民的常識で、私も頭ではわかっていました。わかっているつもりでした。でも、実際に体感してみると・・・寒くてかないません!あんな部屋で冬を越すというのですから、本州の人は寒さに強いに違いありません。ぶるぶる。

そうは言っても陽が昇れば暑いほど暖かくなるのが北海道との違いかと。一夜明けて快晴の広沢の池はすでにポカポカ。市バスの一日乗車券を購入して、これから一日京都観光をしてきます!高校2年の修学旅行以来ですから、かれこれ・・・18年前?もう高校生2回分生きてるんだ・・・

まず当時なかった京都駅から。噂に違わぬスンゴイ建物ですな。でも思ったほど周囲の景観をぶち壊してはいないような。道産子的視点からは、建物が外界から完全に仕切られていないというのが驚きです。駅の構内を歩いていると思ったら、ドアも開けていないのに外にいるんですよ。建物の中から始まった階段なのに、降りきったら外にいるんですよ。これはもはやファンタジー。

お次は伏見稲荷。写真では見たことがあってずっと来たかったところです。時間の都合で残念ながら千本稲荷だけしか見られませんでしたが、まあ満足。

次は銀閣を目指し京都駅からバスに乗りました。乗ったバスはぎゅうぎゅう詰めの満員でした。道路が渋滞してなかなか進みません。あまりに進まないので、20分後発の次便に追いつかれ、前後に並んで走っていました。ほとんど1時間かかって銀閣到着。京都の市バスは路線が多くて一見便利そうですが、こんなにトロトロ走るんではたまりません。生活の足にしている方はさぞ大変でしょう。

さて、銀閣です。これまたずっとずうーっと見たかったところなのです。お土産物屋さん・飲食店が並ぶ賑やかな小道を登り境内に入り、そして拝観料を払い、いえ払おうとしたまさにそのとき目に入ったものは。「銀閣部分修理」の看板でした。ご丁寧に修理中の写真まで載せてあって、それによると銀閣には白い覆いがかけられているようです。もちろん修理中でも見えるように配慮されているみたいですが、そんなんではとても風情が感じられなさそうで。しかも拝観料は高いし。

というわけで銀閣はまた次の機会に。次はまた18年後くらいに来ることにしましょう。で、これまたずっと気になっていた哲学の道を歩くことにしました。小川に沿って続く小道はモミジの紅葉がきれいです。 南禅寺までぶらぶら歩いて、バスで四条烏丸まで出て、アーケード街をうろうろして帰ることにします。

2008-12-20

四国山行12日目 小豆島

12月1日(月) 快晴


早朝の高松。まだ真っ暗な県庁裏。その中でただ一軒に煌々と灯りが点り、面する路地がほのかに照らされています。それはうどん屋さん。新聞屋さんでも牛乳屋さんでもなくコンビニでもなく、うどん屋さん。だってここは高松。讃岐うどんの聖地。

開店直後6時にのれんをくぐると、前後してぞくぞくとお客さんが入ってきます。それも旅行者ではなく地元の人のようです。恐るべしうどん文化。彼らはうどんを食べるためだけに早起きするとでもいうのでしょうか?もちろん、安くて美味しかったのは言うまでもありませんが、それにしても6時って。

食べ物にはあまり興味のない私が、夜が明ける前からうどんを食べに来たのには訳があります。実はここで京都在住の先輩と合流したのです。先輩がうどんを食べるというので、のこのこついてきたのでした。そうでもなければ、とても一人ではいわゆる「セルフ方式」のうどん屋さんには入れません。

食後は腹ごなしがてら、てくてく歩いて高松港まで。小豆島行きのフェリーに乗ります。今日はこれから男二人で小豆島を観光し、その後姫路-京都と移動、先輩宅に何泊かさせてもらう予定です。 それにしても、このお天気はどうでしょう!山から下りてこの快晴。この空を山の中で見せてくれよ、と悲痛な叫びが心の中にこだまします。

祝!初上陸。オリーブで有名な小豆島。郵便局の名前だってオリーブです。当初の予定になく、思いがけずやってきましたが、初めて訪れる土地はどこだってワクワクさせてくれます。

土庄港に着いてバスで坂手港まで移動して、最初に向かうは小豆島八十八ケ所霊場の一番札所でもある洞雲山。あの尖った頂を目指します。小豆島は香川県に属していますので、あの山も一応四国山行の続きと言えるでしょうか。

見た目はそそり立つ岩壁という感じですが、前半はもろに生活道。両側に家が迫る細い道をくねくねと行きます。ときにはお遍路の道標に導かれたり。

ときにはお寺の境内に迷い込んでしまったりしながら。なにせ狭い道があちこちで分岐して交差して、しかも登山口を示す道標なんかもなくって、 行きつ戻りつああでもないこうでもない。ガイドブックを持っていてもこの様ですから、複雑怪奇さでは群を抜いています。

それでもなんとか登山口を発見し、ようやく生活道を離れて林の中に入っていきます。やれやれようやく登山道かと思いきや、やっぱりそんなはっきりした道があるでもなく。ところどころ赤テープが貼ってはあるものの、その間をどう繋げたものやらさっぱりわかりません。というか、林床には植生がなく落ち葉しか見あたらないので、適当にどこでも歩けてしまうのです。いい加減面倒になってきたので、正しい道を探すのを諦めて木々を縫って直登することにしました。

やがて白っぽい岩が露出するようになり、 そうすればもう山頂は間近。左側はスパッと切れ落ちていて、標高の割には高度感は圧倒的です。怖い怖い。

山頂には小さな祠。坂手港から約1時間、登山口からは15分の行程でした。これを登山と言っていいのかとも思いますが、この高度感と景色の広がりは素晴らしいものがあります。

海と空の青さや、浮かぶ雲や、複雑に入りくんだ海岸線、わずかな平地を埋める瓦屋根。いつまで見ていたって飽きることはないでしょう。いままでこういう景色は見たことがありません。

さらに紅葉まっさかりなのです。北海道の紅葉とは根本的に異なりますが、いかにも異境にいると感じさせてくれます。

切り立った岩の下山路はお寺に続き、あっという間に再び生活道へ戻ってきました。白壁の路地が海へと続き。旅する実感というのは、こういう道を歩いているときに最も感じるもの。有名な観光地でなくたっていいんです。土地の人にとってはごく普通の生活の場が、それだけで私にはとても魅力的なのです。

山から下りたら自転車を借りて島内観光。帰りのフェリーの時刻が迫っているので長いこと遊んでいられませんが、見たり買ったり飲んだり食べたり、オリーブの島を満喫させてもらいました。

2008-12-19

四国山行11日目 高松

11月30日(日) 晴れ


マイントピア別子で汗を流し、そこからバスでほんの20分で新居浜駅へ。構内からは間近に迫る山並みを見渡せ、おそらく一番高いあたりを歩いてきたのだろうと、感無量でした。

ここから一路、高松へ。普段、鉄道を利用するときは、各駅停車で窓外の景色に食いつきながらガタゴト行くのがお好みなのですが、今回特別に特急を使うことにしました。というのも、明日の朝一番に高松を発たなければならないので、あまり遅くに到着すると市内散策を楽しむ時間がなくなってしまうのです。山歩きと同じくらい街歩きが好きな私にとって、14年ぶりに訪れる高松をそぞろ歩くことは外せるものではありません。ここは一つ大人らしく、お金で時間を買うことにしました。 乗るぜ特急いしづち!

さすが特急、あっという間の1時間25分で高松駅に着いちゃいました。時刻は12時55分。これから宿探しをしても、街を楽しむ時間はそこそこ確保できそうです。

一つ悲しかったのは、思い出の高松駅が真新しく変わってしまっていたこと。まだ旅慣れない14年前の私が、旅の始めに高松駅に訪れた時のこと。これから四国を回ろうとして、窓口で普通に乗車券を買おうとしたら、駅員さんはこうアドバイスしてくれました。「街中に金券ショップがあるから、そこで18切符を買うといい」。ぶっきらぼうな話し方で、しかも土地の言葉だったので、ものすごくキツく聞こえたことを覚えています。でもよく考えてみると、駅員さんが金券ショップを勧めるなんて、儲けを考えるとありえないことです。きっと若い学生の懐具合を考えてくれたのでしょう。当時はわざわざ遠くまで買いに行くのがめんどくさいと思ったものですが、後から思い返すたびにありがたさが募ります。あのときの駅員さん、ありがとうございました。おかげさまで今や立派な旅人に成長しました。

そんな思い出の駅だから、降り立った瞬間、ものすごい違和感がありました。なんだかキレイすぎるし、これでは旅情もなにもあったものではありません。青春の思い出を返せ!なんていうのは、旅行者の身勝手な感傷とわかってはいるのですけど・・・。

宿を決めたら100円でレンタサイクルを借りて街巡り。縦横無尽に連なるアーケードを、あっちに行ったりこっちに行ったり。ぼんやりとした記憶しかないのですが、アーケード街もちょっと変わったような気がします。あのときお世話になった金券ショップはいったいどこへ?

変わりに、旭川近郊住民にはお馴染み、宮脇書店の本店を発見しました。宮脇書店は旭川にある数少ないまともな本屋さんで、いつも利用しているのです。本店は高松だったのですね。

そして散策中に最も気になったものが、これ。ここ高松に本店を置く114銀行のATMにつけられたキャラクターです。こっち見て手を挙げて挨拶しているんですよ。しかもなぜかフランス語で!一度目につくと、至る所で見かけるようになり、そのたびに愛おしくてたまらなくなります。なんなのでしょう、この感覚。もしかして、恋?

高松の夜はサリュとともに更けていきました。

2008-12-18

四国山行11日目 石鎚山-笹ヶ峰縦走5

11月30日(日) 高曇り


銅山峰ヒュッテは標高も1200mに満たないし、ここ数日と比べてそう冷え込んだわけではないと思うのですが、なんだかやたらと寒い今朝。あまりの寒さにゆっくり寝ていることもできず、まだ暗い朝4時に早々と起きることにしました。ガスストーブでお湯を沸かして、テント内を暖めようという算段です。

狭いテントの中でガスストーブを使うときには、特に換気に気を遣わなければなりませんが、たとえ外の冷たい空気が入ってきたとしても差し引きでははるかに暖まる方が上回るものです。それに熱いコーヒーでも飲めば、体の中からも暖を取ることができます。

寝袋から上半身だけ出して、ヘッドランプをつけて。山行最終日が始まりました。

日の出時刻は7時少し前。 暗いうちに食事を終え、薄明るくなってきたころに荷造りを始め、7時30分出発。昨日は気がつきませんでしたが、ヒュッテの前からは新居浜の街が見えていました。今日は新居浜目指して下っていきます。

もともと銅山越からは、東赤石山を目指し別子山に下山したいと思っていました。東赤石山を含む赤石山系もなかなかいい山のようだからです。でも、今日は高松まで移動しなければならず、下山後の交通手段などを考えると、東赤石山は諦めて新居浜側に下りざるを得ないという結論に達しました。次の機会があるかはわかりませんが、赤石山系は今後の楽しみにとっておくということに・・・。

銅山峰ヒュッテから鹿森ダムへ続く道は、歴史を感じさせる道でした。石の舗装が延々と続いているのが印象的です。江戸の昔の人夫さんたちは、この上を銅や何やを背負って歩いていたのでしょうか。

急な坂を下りきると、平らな広場に出ました。そこにはこんなものも。第三通洞です。1902年に開通した山を貫くトンネル。100年も前のものなのですね。この辺りからはもう産業遺産巡りの観光をしているようなもので、あらかじめ予習してきたなら、あるいはガイドさんに説明してもらいながら歩いたなら、どれだけ興味深かったかと思わされます。

第三通洞のすぐ側にはこんな建物も。これはいったいなんなのでしょう・・・。よく考えたら、別子銅山については、名前こそ聞いたことがありましたがどこにあるのかすら知りませんでしたし、詳しいことはなおさらです。でも山の中に点在する遺跡・遺構・遺物の類を見ていると、それぞれが持つ歴史と意義を知りたい!と強く思わされました。

どんどん標高を下げていき最終的に登山口の標高300mに至ります。今回の縦走は標高1300mから始まり、1400m~1900mくらいを上下しつつ、昨日の銅山峰ヒュッテで初めて1300m以下へ下りました。今日はそこから低くなる一方です。針葉樹林帯が終わるとやがて落ち葉が敷き詰められた道となり、ずいぶん久しぶりにカサコソ踏みしめ歩きました。

鹿森ダム脇にある登山口に到着したのは9時4分。これから30分弱歩けばマイントピア別子で、そこにはバス停もあり温泉もあります。しっかり温泉に浸かって、5日分の疲れを癒し汚れを落とすことにしましょう。

信仰の山から始まり、雪の山となり、最後は産業遺産の山となった今回の縦走。初日を除いてあまりお天気には恵まれませんでしたが、様々な山の表情を見せてもらい大変楽しむことができました。2日目以降はほとんど誰とも会わない静かな静かな5日間でした。

今日の行程
銅山峰ヒュッテ-銅山峰登山口
所要時間:1h34
歩行距離:4.5km
累積標高:+133m/-994m

2008-12-17

四国山行10日目 石鎚山-笹ヶ峰縦走4

11月29日(土) 曇り時々雪のち晴れ


強風が吹き荒れ濃霧があたりを覆った昨晩。その激しさは早めに行動を終えて良かったと胸をなで下ろすほどでしたが、同時に翌日の天気が心配になりもしました。もう何日も前から「週末は晴れる」だの「行楽日和の土日」だのと天気予報で言っていて、たいへん期待しているのですが、こんな状況で本当に当たるものやら・・・。一人寝袋にくるまりながら無性に弱気になります。

しかしそれも杞憂に終わりました。朝テントから出るとこの日の出。朝の低い太陽が東の雲を朱に染めています。夜と朝、山と雲との狭間に浮かぶ幻想的な瞬間。気がつけばカメラを小脇に抱えて走り出していました。もっと景色の良いところへ!

朝焼けの時間は儚く終わり、徐々に高くなる太陽は、今度は谷を埋める雲海を照らしだしました。さっきの風景が派手な色合いで魅せたなら、この風景は侘び寂び的静寂さの魅力で攻めてきます。しかも雲は動かないようでいて、よく見ると刻一刻と姿を変えいつまでも飽かせません。そのわずかな変化を見たくて、歩きながらもついついよそ見をしてしまうのです。

さっき朝焼けを演出した黒く低い雲は、時間が経つにつれどんどん南に流れていき、密度が低くなっていき、青空が見え山が見え。うはは、いいぞいいぞー。

そしてついに!寒風山を越え笹ヶ峰に取り付いたあたりで瓶ヶ森を目にすることができました。二日前に泊まったあの山を、深い谷を隔ててはるか彼方に見られたのです。

さらにさらに、昨日からずっと雲に隠れていた笹ヶ峰も、ようやくその頂をあらわにしてくれました。二日間ちまちま歩いてタイミングを合わせた甲斐がありました・・・。この山を晴れた日に歩きたかったんですよ。だって、なんだかゆるやかでしょう。見晴らしがいいでしょう。

笹ヶ峰山頂から歩いてきた方向を眺めます。手前に寒風山、その後に伊予富士。さらに後は東黒森とジネンゴノ頭。

これから歩いていく方向。左にちち山、そこから一旦下って冠山・平家平と続くゆるやかな稜線。

ちち山を越えてちち山分かれに到着しました。ここで二者択一。さっき見た冠山・平家平方面に行く道と銅山越方面に行く道とが分かれていて、そのどちらに進むか決めなくてはならないのです。またそれは、どこへ下山するか何泊するかを決めることに他なりません。

冠山・平家平のほうに行けば、標高が高く緩やかな稜線を長く歩けますが、今日のうちに下山することになります。一方、銅山越方向へ行けば、標高ははるか低くへ下ってしまいますが、山中でもう一泊することができます。つまり標高を取るか泊数を取るかの選択です。

標高より泊数の魅力が勝り、私は銅山越へと向かうことにしました。登山道は標高差500mを一気に下り、高山帯から樹林帯へと私を連れ去っていきます。見晴らしの良い場所ももう終わりかと思うと悲しい気分になります。

標高1200mあたりまで下ると、久々の樹林帯には青々とした苔がむし、雪に慣れた目に鮮やかでした。 そしてこの辺りからは歴史を訪ねる山歩きの性格が強くなります。別子銅山で採れた銅を新居浜に運ぶため、1702年に拓かれたのが銅山越。300年前の古の道を21世紀になって歩いているかと思うと感慨無量にもなります。要所要所に案内板が置かれていて、歴史の勉強になること請け合いです。

今日の宿泊地は銅山峰ヒュッテ。の脇のキャンプ地です。久しぶりに雪と無縁の夜が過ごせそう。ここも素敵な小屋なので泊まってみたかったのですが、しっとり湿ったテントを乾かしたいこともあってテント泊としました。

受付するのに小屋に赴くと、なななんと、お抹茶でもてなしてくれました。歩き疲れた体に暖かいお茶が美味しいこと!また、しばらく単調な食生活を送っていましたので、嬉しい刺激にもなりました。お心遣いありがとうございました。これで明日も頑張れます。そう、明日はいよいよ最終日なのです。

今日の行程
桑瀬峠-笹ヶ峰-銅山越-銅山峰ヒュッテ
所要時間:8h07
歩行距離:14.4km
累積標高:+1322m/-1660m