2005-04-30

落とす神あれば拾う神あり

今年の2月に携帯電話を落としました(2月9日の記事参照)。スノーシューツアーの途中、山の中でのことだったので、見つかることはないだろうとすっかりあきらめていました。

ところが、今日、つい先ほど、その携帯が見つかりました!うわあ。信じられない。とある方が携帯を拾ってくれて、中に入っている持ち主情報を見て連絡をくれたのだそうです。今時そこまで親切にしてくれる方がいるとは・・・ありがたいことです。さらに、ほとんど3ヶ月間を雪の中で過ごして、それでもまだ故障もしていなかったマイ携帯にも感謝。とっくに新しい携帯を手に入れているのですが、目覚まし時計代わりにでもして優雅な余生を送ってもらうことにします。

それにしても、ほんとに良かった。このお礼は今度山の中で誰かの携帯を拾って返すことにします。これからはいつも目を皿のようにして歩かなくっちゃ。

2005-04-29

大忙しのゴールデンウィーク

ゴールデンウィークです。今年の連休は長くとれるようですね。おかげで私たちもツアーがたくさん入っています。毎日忙しくしていられるのは、ほんとありがたいことです。

でも、ありがたがっていられないほどに、むちゃくちゃ忙しくなってきました。というのも、いろいろな事情が重なって、すべての事務仕事をこのゴールデンウィーク中に終わらせなければならなくなったからです。それも、たくさん入っているツアーの合間を縫って。

すること一覧。
まず、6月から8月までのオリジナルプログラムを作る!(すごく大変。2~3日かかる。ほぼ終了。)
次に、そのプログラムを載せたチラシを作って配布する!(結構大変。一日仕事。これから。)
さらに、夏に向けて通信紙を作成し印刷し発送する!(かなり大変。印刷発送だけで丸一日。通信紙の原稿執筆は今まさに呻っている途中。間に合うのか?)
おまけに、5月半ばに開催するスライドショーの準備やら、仕事上の会食や、細々とした仕事も残っています。

ああ、連休が短すぎる...

2005-04-27

頭と体のバランス

昨日は視界ゼロの中、裾合平を抜け中岳温泉まで雪原を歩いてきました。夏ですと、急げば30~40分で着くくらいの距離です。のんびり歩いていける目的地の一つとなっています。ところが昨日は、足にまとわりつくような雪質でたいへん歩きにくく、天候と相まってずっしりと体に疲れがたまってしまいました。

うって変わって今日は一日デスクワークです。朝9時から短い休憩を挟みながら延々今の今までずうっと夏のオリジナルプログラム作りをしていました。

一口にプログラム作りと言っても、単に行きたい山の名前を挙げていくだけでできるものではありません。残雪の状況や山開きなどの関係で時期によって行ける山行けない山がありますし、そもそも山によって最適な時期は変わってきます。もうすでに予約が入っている日は避けながら、いつどの山に行くのかを決めていく作業は、あっちを立てればこっちが立たずでなかなか難しいパズルです。そのパズルが解決したら今度は、それぞれのコースの所要時間・標高差を割り出し、そこから難易度を設定していきます。そのために地形図や過去のツアーの記録を引っ張り出してくるわけです。次に集合場所・集合時刻を決めなければなりません。そして最後に、各コースの一口キャッチコピーを考えるという大仕事が残っています。これが最難関です。もっとも頭を使います。ほんの一文で、山の特徴と魅力を余すところなく伝えなければならないのですから。これも一つや二つ作るくらいならなんとかなるのですが、何が難しいといって一度に10も20も考えなければならないところなのです。悲しいかな語彙が貧困なもので、どんなに考えても同じようなコピーしかでてきません。できるだけ違った表現を使うように唸って呻ってなんとか作り上げました。今度できるチラシで私たちの苦労の跡を感じ取ってみてください。

能力以上に頭を働かせるのは大変なものです。今日はデスクワークしかしていないのに、ずっしりと疲れてしまいました。

昨日は体が疲れ、今日は頭が疲れる。どちらか一方に偏っていないのはバランスがとれていて良い、ということなのでしょうか?

2005-04-26

備えあれば

一面雪に覆われて真っ白な大雪原となっている裾合平を抜け、中岳温泉まで行ってきました。出発前は時折陽も差し視界良好だったのですが、一応念のためデポ旗を持って行くことにしました。デポ旗とは、ものすごく簡単に言うと雪上の目印にする棒です。一般に視認性の良い赤色のテープがつけられます。


こんな棒をたくさん持ち、途中途中にさしていきます。帰り道、それを目印にすれば無事スタ-ト地点まで戻れるという優れものです。

はっきりいって歩くには邪魔で、だからできれば持って行きたくはありません。でも、いつ天候が急変し視界が効かなくなるかわかりません。こんなふうに。


下手すると50歩先にいる人間が見えなくなるほどです。こうなると頼れるのは地図とコンパスとそしてなにより赤旗をはためかすデポ旗だけです。備えあれば憂いなし。無事帰ってくることができました。山の世界では臆病で慎重なくらいでちょうどいいんですね。

2005-04-25

2005年夏プログラム策定中

今日は会議を行い、6月から8月までのプログラム案を詰めました。いよいよ夏山シーズンの到来です。今年のテーマは“次の一歩を踏みだそう(仮称)”。日帰りの夏山登山から一歩足を踏み出し、
 ※残雪期登山 と
 ※山中泊縦走
の楽しさを体験してもらおうというもの。堅く締まった残雪の上を、登山道に縛られずに自由に歩く楽しさ。ひとけのない縦走路を、風の音を聞きながらどこまでも歩いてゆく心地よさ。どちらも一度体験するとやめられなくなるものです。この醍醐味をあなたに!そう、そこのあなたに!去年は無かった新しい試みですから乞うご期待ですよ。

もちろん普通の夏山日帰りプログラムも豊富にご用意しております。詳細は、ゴールデンウィーク明けにBEAR通信夏号をお送りしますのでそちらをご参照ください。または、旭川市内の山道具屋さん・スポーツ店にもチラシを置いてきますし、WEBサイトにもアップします。楽しみですね。待ちきれませんね。

2005-04-24

一番カタクリ

東川町に知る人ぞ知るカタクリの名所があります。 斜面一面に広がる群落はそれは見事なものです。 まだ旭川の突哨山のようには有名になっていないので、休日でもほとんど独り占めできるくらいゆっくり静かに花を愛でることができます。今日見てきたところ、カタクリはつぼみこそ全部出そろった感じですが、まだ花が咲くには至っていませんでした。 満開になるにはあと一週間くらいかかるかな、という感じです。

しかし、そんななか。 気の早いやつ、というかサービス精神の旺盛なやつはどこの世界にもいるものです。 たった一輪だけ、本当に一輪だけ、花を咲かせているのを発見してしまいました。


目を皿のようにして探しても、他に咲いているのはなかったので、これこそが今年の「一番カタクリ」です。どれだけたくさん花があったとしても一番最初に咲く一輪があるのは当たり前のことなのですが、これが一番であると明確にわかる瞬間に立ち会えることになにか不思議さを感じます。

さて、この一番カタクリ。これを目にすると幸せになるとか、種になるまでに願い事を3回言うと実現するとか、そんなうまい話はころがっていないものでしょうか?

2005-04-23

春が来た春が来たキトウシに来た

今日も雪がちらつく寒い一日でした。すぐ近くのキトウシ森林公園に行ったところ、解け残って堅く締まった雪の塊と積もったばかりで後ろが透けそうな淡雪の対比が面白い風景を作っていました。

そんな中でも動植物たちは敏感に春を感じ取っているようです。たとえば、こいつ(↓)。


エゾリスさん。冬の間、雪の上に無数につく足跡ばかり見ていましたが、ようやくご本人との対面を果たせました。お久しぶり。ぐるるっ、というような鳴き声もにぎやかに、木の上を元気に走り回り、時折立ち止まってはこちらの様子を覗う姿は愛敬いっぱいです。

他には、アカゲラ・ヤマゲラがまだ新芽の出ていない林に色を添えていましたし、赤青黄色のお花たちも良い具合に育っていましたよ。

春はもうそこまで来ているようです。ちょっと外へ出て、春の訪れを感じてみませんか?

2005-04-22

春雪じゃ

雪ですね!しかもうっすらと積もっていますよ!4月の下旬、もうすぐゴールデンウィークというこの時期に、うっすらとはいえ積もるほど雪が降るなんて。山の中ならともかく町中なのですから驚きです。さっき車を運転していたら、横殴りに吹雪いてましたよ・・・。

しかも寒い!どれほど寒いかと言うと、ここ一ヵ月ほど使っていなかった車のヒーターのスイッチを久しぶりに入れてしまったほど。今も部屋で毛布にくるまってストーブをたいています。こんな調子で本当に春は来るのでしょうか(まず間違いなく来るでしょうが)。

明後日は、春早くに咲くお花を見に行くツアーがあります。でも今年は雪が多かったしおまけにこんな寒くては、無事花が咲いているか心配です。春は春らしくもうちょっと暖かくなってほしいんですけど。

2005-04-21

五月はアポイ漬け

あるガイドさんの代役で、5月後半にアポイ岳へ行くことになりました。本州からくる登山ツアーの引率だそうです。10日の間に1泊2日の行程を4回分という、かなりきつそうな日程になっています。2日やって1日休んで2日やって2日やって1日休んで2日やって・・・。発着は新千歳空港ということなので、ひとつツアーが終わっても家まで帰る時間はなく、ホテル泊まりが続くんだそうです。ちょっとした出稼ぎ気分ですね。やれやれ。でもまあ10日くらいならでなんとかなるでしょう、と思ったら、なんと。集客如何で催行数は倍になるかもしれない!?20日間ずっと出かけっぱなしってことですか?大丈夫かなあ・・・

旅行代理店主催の団体ツアーは、こんなふうにある時期のある場所に集中的に大人数を送り込んでくるのが特徴です。高山植物の見頃時期に花の名所に10も20もの団体ツアーがひしめきあっているなんていうのは、山の風物詩ともなっています。私たちガイドにとって旅行代理店から仕事を受けることは、短期間で効率よく稼ぐことができる点で非常にありがたいものです。お客さんにとってもツアー料金が安くなるメリットがあります。でも、山の環境を考えると単純に喜んでばかりもいられません。それになによりお客さんの数が多すぎて一人一人と話ができないなんて、ガイド業の醍醐味が全くないではありませんか!ガイド1人で30人近くも見なければならないこともあるのですから、お客さんからしても楽しくないんじゃないかと思います。このあたり、われわれガイドが真面目に取り組んで改善していかなければならない重要な問題でしょう。ガイドと旅行代理店の間で話し合いの場を設けられればいいのですけど。

2005-04-18

19年前の本

ここ数日で、昔買った本を読み返していました。もう10回以上読みましたが、それでもまだ時折目を通したくなるお気に入りの小説です。最近何かの書評で知ったのですが、その分野では史上ベスト3に入るほどの名作なんだそうで、何度でも読みたくなるのもなるほど納得という感じです。

またこれは、生まれて初めて自分で買った特別な本でもあります。忘れもしない昭和61年3月28日(記憶が良いわけではなく、最初のページに書き込んであるもので)。小学校卒業直後の春休みのこと。中学校で使う英語辞書を買いに行った先で、たまたま目にしたのがこの本でした。どうして数多ある本の中からこれを選び取ったのか、今となってはもうわかりません。帯か表紙か題名かそれともPOPでも貼ってあったのでしょうか。昔から本は好きでしたが、図書館で借りるか家にあるものを読むかくらいのもの。書店に行って自分で買ってくるなどは、当時の私の選択肢には入っていませんでした。そんな中、思わず買ってしまったのですから、よほど強く惹きつける何かがあったのでしょう。



文庫サイズのこの本を買ったとき、晴れがましいような気恥ずかしいような気持ちになったものです。小学校の図書室に並んでいた子供向けのハードカバー本とは違う大きさ。字も小さく挿絵もない。大人の本を読んでいるんだ、という誇らしさ。今考えると、精一杯の背伸びがほほえましいくらいです。

そして幸運にも、この本は一気に読み終えるほどおもしろかったのです。大人の本を読んでも大丈夫、とこれ以降本好きが加速したような気がします。たまたま手にした本が傑作だったというのは、幸福な偶然です。

ぼろぼろになって折り目から切れそうな表紙。紅茶をこぼしてしわしわになったページ。この本を読み返す度に、小学生だったころの気持ちが鮮やかに思い出されてきます。

2005-04-16

メロンパンの憂鬱

突然ですが、「日本百名山」というものがあります。深田久弥という人が日本中からおすすめの山を百座(※)選んだものであり、それらの山々への紀行文を編んだ書籍のタイトルでもあります。全百のうち北海道には九座あり大雪山国立公園内からは旭岳火山群・十勝岳・トムラウシの三座が選ばれています。

「百名山」という言葉は、今やそれ自体がある種のブランドのようになっています。百座完登すなわち登山の目的、という人がいたり、百名山を冠した団体ツアーや書籍などがそれこそ山のように出回っています。そのため、どの山が百に選ばれているかとか、どうすれば効率よく回れるかなどという情報はよく知られています。ところが、その元となった「本」を実際に読んだことのある人はほとんどいないのではないでしょうか。かく言う私もその一人でした。「百名山」という言葉をあまりに耳にするがゆえに、周辺情報があまりに入ってくるがゆえに、実際にはなにも知らないのに知っている気になってしまうのです。言ってみれば、メロンパンを食べただけでメロンの味を理解した気になっているようなものです。知的怠慢ですよね。

で、この度ようやく、原本に当たることにしました。読んでみた感想。
…ごく普通のガイドブックだよなあ。
何百何千という山に登り、その中からたった百を選び出したことは、素直にすばらしい功績だと思います。でも、どうしてこんなに有名になったのか、どうして登山者を惹きつけて止まないのか、その理由がわかりません。「百名山」というネーミングの妙なのでしょうか?それとも当時としては画期的な内容だったのでしょうか?はたまた、関連業界が商業的に成功を収めただけということでしょうか?謎は深まるばかりです。勉強不足でこれ以上はよくわかりませんが、やっぱり読まなければ気づかないことがあるということですよね。


※ 「座」とは高山を数えるときにつける助数詞です。

2005-04-13

寿司は回る、されど論文は進まず

昨日の晩、お寿司を食べました。それも回らないやつですよ。小学校の時の同級生が寿司屋の息子で、遊びに行ったときに食べさせてもらったことがありましたが、おそらくそれ以来のことです。だから、約20年ぶり、ほとんど初めてといってもいいくらいになります。回ってるものとはやっぱり違いますね。しかもごちそうになってしまって。おいしくいただいてきました。

ごちそうしてくださったのは大学院でお世話になった先生で、私にとってはまさに「恩師」にあたります。私には、非常にお世話になったというか、お世話になっている真っ最中というか、そういう人が二人います。先日、研究と現場の橋渡しという話を書きました。今の私にとって、その両方がともに重要な意味を持つわけですが、そのうち研究側の師匠にあたるのがこの先生です(現場側の師匠はもちろん代表の佐久間)。論理的なものの考え方や文章の書き方など、研究に必要な基本的なことを叩き込んでもらったものです。

昨日は、お寿司をごちそうになっただけでなく、先生が新しく書き上げた論文もいただいてきました。大雪山の登山道侵食に関するものです。こういうものを手にすると、自分も早いところ本格的に投稿論文を書き出さないといけないなあと、思いが新たになります。忙しいとか言い訳をしてる場合ではないですね。もうずいぶん前から懸案になっていることですし、早いところなんとかしてしまわないと。

2005-04-11

ささやかな、もうひとつの趣味

ここのところパソコンの性能アップにいそしんでいました。今使っているパソコンは1年半ほど前に手に入れたものですが、最近ではパソコンの世界の進歩も速度をゆるめているようで、十分実用に耐える働きをしてくれていました。ただ、ハードディスクの容量が手狭になってきたのと、画像ソフトを立ち上げていると動きが鈍るということがあり、ちょっと手を加えてみることにしました。下手の横好きというかなんというか、パソコンをいじって自分なりに使いやすくすることが山歩きに次ぐ趣味なんです。とはいえ、そう難しいことができるわけではありませんが。まあ、そんなわけで、今回は基本中の基本、ハードディスクの交換とメモリの増設を行うこととしました。

ハードディスクは今まで40Gだったところ、出血大サービスの倍増80Gに交換!ああ、あこがれの80G・・・。自分のノートパソコンにつけられるものでは、そこそこ大きい容量のもののはずです。たしか最高が120Gだったような。100Gか80Gかで迷ったのですが、価格と相談して80Gとなりました。一方のメモリは今までの256Mに、なななんと512Mを付け足して合計768M!通常の3倍ですよ、奥さん!これは自機につけることができる最大のものなんです。メモリもハードディスクもやるだけのことはやったという感じです。ふぅ。

これでCPUやマザーボードも載せ替えられれば言うことなしなのですが、これ以上のことは素人にはできません。今売っているものと比べてもそう遜色のないものができあがったので良しとしましょう。というよりは、かなり満足しています。うふふふ。

今日は早速、力強くなったおパソさんから書き込んでいます。文字を書き込む程度の作業では以前との違いなんてわからないのですけど、やっぱりなんとなく使っていてうれしくなります。これで、今後とも(少なくとも数年は)愛用していくことができそうです。

2005-04-09

2003年4月ニュージーランドにて

ニュージーランドで迎えた2年前の誕生日。その時の写真を発掘してきたので、ちょっとご紹介します。

2003年4月1日から4泊5日のバックパッキングに出かけました。ニュージーランドでは晩秋にあたる時期です。目的地はニュージーランド北島にあるトンガリロ国立公園。世界遺産にも指定されていて、日本でもわりとよく知られている国立公園ではないかと思います。トレッキングのルートとして有名なのは、トンガリロ・クロッシング(日帰り)とトンガリロ・ノーザン・サーキット(2泊3日)の二つ。それぞれ2回ずつ歩きましたが、いつでも人でにぎわっていました。この時歩いたのは、そのどちらでもなくそしてあまり人気がないらしい“ラウンド・ザ・マウンテン・トラック”と名付けられたコースです。“ザ・マウンテン”とは、ルアペフという標高2797mの大きな火山のことで、この山の裾から中腹にかけてぐるりと一周するようにトレイルがつけられています。



雪を抱いてそびえているのがルアペフです。これから5日間、常にこの山を眺めながら歩くことになります。

コースは場所場所で表情を変えてきます。写真の場所では、植物もなく荒涼とした感じがしますが、次の日には、



苔むした木々が立ち並ぶ森を抜けたりもします。こちらのほうがニュージーランドっぽいかもしれませんね。




山小屋はびっくりするくらい清潔に保たれています。おまけに薪ストーブが据え付けられていて、小屋の外には薪まで用意されています。山の雰囲気を壊さない程度に快適で、しかも清潔。毎日こんな理想的な小屋に泊まれるのですから、ニュージーランドで山歩きが盛んなのも頷けるというものです。2003年4月3日、写真のこの小屋に泊まり、20代最後の日を過ごし30代最初の日を迎えました。




その日の夕方。沈み行く太陽がルアペフを染めていきます。ただでさえ感傷的なところにとどめを刺された感じです。そして、あたりは徐々に夕闇に包まれていき、




いよいよ薪ストーブの時間がやってきます。こんな薪の炎に柔らかく照らされれば、誰だって物思いにふけってしまうというものです。こうして異国の地で20代は過ぎ去っていきました。

山小屋4泊のうち、最後の1泊だけ同泊者がいましたが、他の3泊は一人きりですごしました。ほとんど人と出会わない静かな静かな山行でした。

写真を見てると当時を思い出すなあ。また、どこか知らない国で知らない山を歩いてみたいものです。

2005-04-08

絶不調

ここのところずっとブログの調子が良くありません。今日もせっかくきれいな写真を用意して長い文章書いたのに、ここに反映させられません。やむなく携帯からこれだけ書いておきます。

※どうやら復旧したようです。(4月9日14時追記)

2005-04-04

おめでとう、おめでとう

すっかり忘れていましたが、今日誕生日だったんです。30才になるまでは毎年がカウントダウンのようで、妙に意識していました。特に29から30になる時には訳もなくどきどきしたものです。でもおかしなもので、いざ過ぎてしまうとどうということないのですよね。逆に、年齢というものにすっかり無関心になってしまい、誕生日も忘れそうになる始末です。

誕生日といえば思い出すのが2年前。30を迎える時の話です。20代最後の1年は自分の年齢についていろいろと自省する年でした。こんな自分が本当に30才になってしまっていいのだろうか?30才というのはもっと人間として成熟しているべきではないのだろうか?そんなことを考えていました。当時の私にとって、30という数字はひとつの区切りであって、何かの象徴のようなものだったのでしょう。その時私はちょうどニュージーランドに行っており、誕生日をはさんで前後5日間山歩きをしていました。ほとんど人と会わない辺鄙なコースで、毎日簡素な山小屋でたった一人で夜を明かしていました。そして、当然のように誕生日の前日泊まった小屋でも一人きり。電気などきていませんから、照明といえばロウソクだけ。ゆらめく灯りを眺めながら、異国で、山奥深くで、たった一人で、来し方行く末を沈思黙考しながら日付が変わる瞬間を迎えました。幻想的で哲学的で孤独で。特別な意味を持った誕生日でした。

またいつの日かそんな誕生日を過ごしたいものです。

2005-04-03

来年のことを言うと

昨日今日と立て続けに7月の問い合わせが入りました。前にもここで書いたような気がしますが、7月はお花盛りの夏山最盛期ですからかなり早い段階で日程が埋まります。今年の7月もすでに5割方予定が入っています。非常にありがたいことなのですが、一方でせっかくお問い合せをしてくださったのにお断りしなければならないこともあります。わざわざご連絡いただくのですから、なんとしてもスケジュールを調整してお受けしたいとは思うのですが、なにぶん少ない人数で仕事をしていますので、なかなかそうもいきません。心苦しい限りです。

ですからみなさま、ご予約はお早めに。日程を早く組んでしまえば、飛行機料金も安くなりますし、いいことずくめです。こちらのご予約は、なんなら1年前でもかまいません。ことツアーに関しては鬼も見逃してくれるようですよ。ご安心あれ。合い言葉は「予約は早めに限る」です。

2005-04-01

たまには希有壮大に

4月です。今日から新しい年度が始まりました。年度という概念は私たちの仕事にはほとんど関係無いものなのですが、物事の区切りということで意気込みなどをつらつらと。

自分が大雪山に対してできることは何か?というようなことをよく考えます。それも、他の人にできないことで、自分にしかできないことは何だろう、と。結論から言ってしまうと、それは「現場と研究の橋渡し」だと思っています。現場とはガイドをはじめとする山で働く方々を指し、研究とは大雪山国立公園をフィールドとして調査研究を進める研究者の方を指します。

その両者の橋渡しをするとはどういうことでしょうか?現場で働く方々は驚くべき知的好奇心と知識への欲求を持っています。これはもう、その辺の学生に爪の垢を煎じて飲ませたいほどです。しかし残念ながら、先端の知識に接する機会はほとんど全くありません。先端の知識はいつも一般の人の目が届かないところで「論文」という形でしか披露されないからです。残念ながらそれは、調査研究が目と鼻の先の大雪山で行われていても同じことなのです。一方、研究の場では知識の普及の必要性は認められてはいます。認められてはいるのですが、ただ、その方法がわからないのです。研究者というのは、論文を書き研究者仲間にその成果を発表する訓練は受けますが、一般向けに成果を披露することについては慣れていません。このような両者の実情を知ると、その様はまるで赤い糸のつながった同士のようです。お互いに欲しあっているのです。ただ、両方に通じた人間さえいれば、お互いに相補い合うことができます。

もしこの橋渡しがうまくいけば、それは現場の人間と研究者とのお互いにとって有益なだけでなく、国立公園管理という視点からも重要な意義を持ちます。なぜなら、これからの国立公園管理には地元の人間、就中現場をよく知っている地元の人間の参与がなくてはならないはずだからです。経験的な知識に、それらの知識を紡ぐ理論を加えることができれば、これ以上はない頼もしい人材となるでしょう。そういう意味でも誰かが橋渡し役を担わなければなりません。

私は、大学院で国立公園管理の研究をしながら同時にガイドの仕事を始めたので、両方の事情に同じ程度ずつ通じていました。私はガイドとなってまだ日が浅く、ガイドとしての技量ではまだまだ諸先輩にかないません。また、大学院教育を受けたとはいえ修士課程を修了しただけですから、研究者としても入り口から中をのぞき見た程度のものです。ガイドとしても研究者としても未熟で、軸足を2本持つどっちつかずの中途半端な立場だといえるかもしれません。ですが、見方によって、またやりようによってはこれは大きな武器ともなるはずです。ガイドをはじめとする現場の実情と、研究の場の実情をともに体感していて、そしてそれぞれの場で何が求められているのかを知っている人間はそう多くはないはずだからです。地域を大雪山に限定すると、ほとんどいないといってもいいのではないでしょうか。だからこれは他の誰もできない、私だけに与えられた仕事なのだ、と信じています。

若手の研究者を講師に招き山の中で勉強会を行っていることも、その模様をDVD化して配布していることも、地元で講演会を開くことも、すべてこの文脈の中に位置づけられます。今後この橋渡しの役割を深化させるために、ガイドとしても成長しかつ研究もやめずにいたいと思っています。とりあえずは修士論文を元に投稿論文を書き上げないと・・・。これは4月中の課題です。

ちょっと大言壮語気味に語ってしまいましたが、今日はウソをついてもいい日らしいので。