昨日の晩、お寿司を食べました。それも回らないやつですよ。小学校の時の同級生が寿司屋の息子で、遊びに行ったときに食べさせてもらったことがありましたが、おそらくそれ以来のことです。だから、約20年ぶり、ほとんど初めてといってもいいくらいになります。回ってるものとはやっぱり違いますね。しかもごちそうになってしまって。おいしくいただいてきました。
ごちそうしてくださったのは大学院でお世話になった先生で、私にとってはまさに「恩師」にあたります。私には、非常にお世話になったというか、お世話になっている真っ最中というか、そういう人が二人います。先日、研究と現場の橋渡しという話を書きました。今の私にとって、その両方がともに重要な意味を持つわけですが、そのうち研究側の師匠にあたるのがこの先生です(現場側の師匠はもちろん代表の佐久間)。論理的なものの考え方や文章の書き方など、研究に必要な基本的なことを叩き込んでもらったものです。
昨日は、お寿司をごちそうになっただけでなく、先生が新しく書き上げた論文もいただいてきました。大雪山の登山道侵食に関するものです。こういうものを手にすると、自分も早いところ本格的に投稿論文を書き出さないといけないなあと、思いが新たになります。忙しいとか言い訳をしてる場合ではないですね。もうずいぶん前から懸案になっていることですし、早いところなんとかしてしまわないと。
2005-04-13
2005-04-11
ささやかな、もうひとつの趣味
ここのところパソコンの性能アップにいそしんでいました。今使っているパソコンは1年半ほど前に手に入れたものですが、最近ではパソコンの世界の進歩も速度をゆるめているようで、十分実用に耐える働きをしてくれていました。ただ、ハードディスクの容量が手狭になってきたのと、画像ソフトを立ち上げていると動きが鈍るということがあり、ちょっと手を加えてみることにしました。下手の横好きというかなんというか、パソコンをいじって自分なりに使いやすくすることが山歩きに次ぐ趣味なんです。とはいえ、そう難しいことができるわけではありませんが。まあ、そんなわけで、今回は基本中の基本、ハードディスクの交換とメモリの増設を行うこととしました。
ハードディスクは今まで40Gだったところ、出血大サービスの倍増80Gに交換!ああ、あこがれの80G・・・。自分のノートパソコンにつけられるものでは、そこそこ大きい容量のもののはずです。たしか最高が120Gだったような。100Gか80Gかで迷ったのですが、価格と相談して80Gとなりました。一方のメモリは今までの256Mに、なななんと512Mを付け足して合計768M!通常の3倍ですよ、奥さん!これは自機につけることができる最大のものなんです。メモリもハードディスクもやるだけのことはやったという感じです。ふぅ。
これでCPUやマザーボードも載せ替えられれば言うことなしなのですが、これ以上のことは素人にはできません。今売っているものと比べてもそう遜色のないものができあがったので良しとしましょう。というよりは、かなり満足しています。うふふふ。
今日は早速、力強くなったおパソさんから書き込んでいます。文字を書き込む程度の作業では以前との違いなんてわからないのですけど、やっぱりなんとなく使っていてうれしくなります。これで、今後とも(少なくとも数年は)愛用していくことができそうです。
ハードディスクは今まで40Gだったところ、出血大サービスの倍増80Gに交換!ああ、あこがれの80G・・・。自分のノートパソコンにつけられるものでは、そこそこ大きい容量のもののはずです。たしか最高が120Gだったような。100Gか80Gかで迷ったのですが、価格と相談して80Gとなりました。一方のメモリは今までの256Mに、なななんと512Mを付け足して合計768M!通常の3倍ですよ、奥さん!これは自機につけることができる最大のものなんです。メモリもハードディスクもやるだけのことはやったという感じです。ふぅ。
これでCPUやマザーボードも載せ替えられれば言うことなしなのですが、これ以上のことは素人にはできません。今売っているものと比べてもそう遜色のないものができあがったので良しとしましょう。というよりは、かなり満足しています。うふふふ。
今日は早速、力強くなったおパソさんから書き込んでいます。文字を書き込む程度の作業では以前との違いなんてわからないのですけど、やっぱりなんとなく使っていてうれしくなります。これで、今後とも(少なくとも数年は)愛用していくことができそうです。
2005-04-09
2003年4月ニュージーランドにて
ニュージーランドで迎えた2年前の誕生日。その時の写真を発掘してきたので、ちょっとご紹介します。
2003年4月1日から4泊5日のバックパッキングに出かけました。ニュージーランドでは晩秋にあたる時期です。目的地はニュージーランド北島にあるトンガリロ国立公園。世界遺産にも指定されていて、日本でもわりとよく知られている国立公園ではないかと思います。トレッキングのルートとして有名なのは、トンガリロ・クロッシング(日帰り)とトンガリロ・ノーザン・サーキット(2泊3日)の二つ。それぞれ2回ずつ歩きましたが、いつでも人でにぎわっていました。この時歩いたのは、そのどちらでもなくそしてあまり人気がないらしい“ラウンド・ザ・マウンテン・トラック”と名付けられたコースです。“ザ・マウンテン”とは、ルアペフという標高2797mの大きな火山のことで、この山の裾から中腹にかけてぐるりと一周するようにトレイルがつけられています。
雪を抱いてそびえているのがルアペフです。これから5日間、常にこの山を眺めながら歩くことになります。
コースは場所場所で表情を変えてきます。写真の場所では、植物もなく荒涼とした感じがしますが、次の日には、
苔むした木々が立ち並ぶ森を抜けたりもします。こちらのほうがニュージーランドっぽいかもしれませんね。
山小屋はびっくりするくらい清潔に保たれています。おまけに薪ストーブが据え付けられていて、小屋の外には薪まで用意されています。山の雰囲気を壊さない程度に快適で、しかも清潔。毎日こんな理想的な小屋に泊まれるのですから、ニュージーランドで山歩きが盛んなのも頷けるというものです。2003年4月3日、写真のこの小屋に泊まり、20代最後の日を過ごし30代最初の日を迎えました。
その日の夕方。沈み行く太陽がルアペフを染めていきます。ただでさえ感傷的なところにとどめを刺された感じです。そして、あたりは徐々に夕闇に包まれていき、
いよいよ薪ストーブの時間がやってきます。こんな薪の炎に柔らかく照らされれば、誰だって物思いにふけってしまうというものです。こうして異国の地で20代は過ぎ去っていきました。
山小屋4泊のうち、最後の1泊だけ同泊者がいましたが、他の3泊は一人きりですごしました。ほとんど人と出会わない静かな静かな山行でした。
写真を見てると当時を思い出すなあ。また、どこか知らない国で知らない山を歩いてみたいものです。
2003年4月1日から4泊5日のバックパッキングに出かけました。ニュージーランドでは晩秋にあたる時期です。目的地はニュージーランド北島にあるトンガリロ国立公園。世界遺産にも指定されていて、日本でもわりとよく知られている国立公園ではないかと思います。トレッキングのルートとして有名なのは、トンガリロ・クロッシング(日帰り)とトンガリロ・ノーザン・サーキット(2泊3日)の二つ。それぞれ2回ずつ歩きましたが、いつでも人でにぎわっていました。この時歩いたのは、そのどちらでもなくそしてあまり人気がないらしい“ラウンド・ザ・マウンテン・トラック”と名付けられたコースです。“ザ・マウンテン”とは、ルアペフという標高2797mの大きな火山のことで、この山の裾から中腹にかけてぐるりと一周するようにトレイルがつけられています。
雪を抱いてそびえているのがルアペフです。これから5日間、常にこの山を眺めながら歩くことになります。
コースは場所場所で表情を変えてきます。写真の場所では、植物もなく荒涼とした感じがしますが、次の日には、
苔むした木々が立ち並ぶ森を抜けたりもします。こちらのほうがニュージーランドっぽいかもしれませんね。
山小屋はびっくりするくらい清潔に保たれています。おまけに薪ストーブが据え付けられていて、小屋の外には薪まで用意されています。山の雰囲気を壊さない程度に快適で、しかも清潔。毎日こんな理想的な小屋に泊まれるのですから、ニュージーランドで山歩きが盛んなのも頷けるというものです。2003年4月3日、写真のこの小屋に泊まり、20代最後の日を過ごし30代最初の日を迎えました。
その日の夕方。沈み行く太陽がルアペフを染めていきます。ただでさえ感傷的なところにとどめを刺された感じです。そして、あたりは徐々に夕闇に包まれていき、
いよいよ薪ストーブの時間がやってきます。こんな薪の炎に柔らかく照らされれば、誰だって物思いにふけってしまうというものです。こうして異国の地で20代は過ぎ去っていきました。
山小屋4泊のうち、最後の1泊だけ同泊者がいましたが、他の3泊は一人きりですごしました。ほとんど人と出会わない静かな静かな山行でした。
写真を見てると当時を思い出すなあ。また、どこか知らない国で知らない山を歩いてみたいものです。
2005-04-08
絶不調
ここのところずっとブログの調子が良くありません。今日もせっかくきれいな写真を用意して長い文章書いたのに、ここに反映させられません。やむなく携帯からこれだけ書いておきます。
※どうやら復旧したようです。(4月9日14時追記)
2005-04-04
おめでとう、おめでとう
すっかり忘れていましたが、今日誕生日だったんです。30才になるまでは毎年がカウントダウンのようで、妙に意識していました。特に29から30になる時には訳もなくどきどきしたものです。でもおかしなもので、いざ過ぎてしまうとどうということないのですよね。逆に、年齢というものにすっかり無関心になってしまい、誕生日も忘れそうになる始末です。
誕生日といえば思い出すのが2年前。30を迎える時の話です。20代最後の1年は自分の年齢についていろいろと自省する年でした。こんな自分が本当に30才になってしまっていいのだろうか?30才というのはもっと人間として成熟しているべきではないのだろうか?そんなことを考えていました。当時の私にとって、30という数字はひとつの区切りであって、何かの象徴のようなものだったのでしょう。その時私はちょうどニュージーランドに行っており、誕生日をはさんで前後5日間山歩きをしていました。ほとんど人と会わない辺鄙なコースで、毎日簡素な山小屋でたった一人で夜を明かしていました。そして、当然のように誕生日の前日泊まった小屋でも一人きり。電気などきていませんから、照明といえばロウソクだけ。ゆらめく灯りを眺めながら、異国で、山奥深くで、たった一人で、来し方行く末を沈思黙考しながら日付が変わる瞬間を迎えました。幻想的で哲学的で孤独で。特別な意味を持った誕生日でした。
またいつの日かそんな誕生日を過ごしたいものです。
誕生日といえば思い出すのが2年前。30を迎える時の話です。20代最後の1年は自分の年齢についていろいろと自省する年でした。こんな自分が本当に30才になってしまっていいのだろうか?30才というのはもっと人間として成熟しているべきではないのだろうか?そんなことを考えていました。当時の私にとって、30という数字はひとつの区切りであって、何かの象徴のようなものだったのでしょう。その時私はちょうどニュージーランドに行っており、誕生日をはさんで前後5日間山歩きをしていました。ほとんど人と会わない辺鄙なコースで、毎日簡素な山小屋でたった一人で夜を明かしていました。そして、当然のように誕生日の前日泊まった小屋でも一人きり。電気などきていませんから、照明といえばロウソクだけ。ゆらめく灯りを眺めながら、異国で、山奥深くで、たった一人で、来し方行く末を沈思黙考しながら日付が変わる瞬間を迎えました。幻想的で哲学的で孤独で。特別な意味を持った誕生日でした。
またいつの日かそんな誕生日を過ごしたいものです。
2005-04-03
来年のことを言うと
昨日今日と立て続けに7月の問い合わせが入りました。前にもここで書いたような気がしますが、7月はお花盛りの夏山最盛期ですからかなり早い段階で日程が埋まります。今年の7月もすでに5割方予定が入っています。非常にありがたいことなのですが、一方でせっかくお問い合せをしてくださったのにお断りしなければならないこともあります。わざわざご連絡いただくのですから、なんとしてもスケジュールを調整してお受けしたいとは思うのですが、なにぶん少ない人数で仕事をしていますので、なかなかそうもいきません。心苦しい限りです。
ですからみなさま、ご予約はお早めに。日程を早く組んでしまえば、飛行機料金も安くなりますし、いいことずくめです。こちらのご予約は、なんなら1年前でもかまいません。ことツアーに関しては鬼も見逃してくれるようですよ。ご安心あれ。合い言葉は「予約は早めに限る」です。
ですからみなさま、ご予約はお早めに。日程を早く組んでしまえば、飛行機料金も安くなりますし、いいことずくめです。こちらのご予約は、なんなら1年前でもかまいません。ことツアーに関しては鬼も見逃してくれるようですよ。ご安心あれ。合い言葉は「予約は早めに限る」です。
2005-04-01
たまには希有壮大に
4月です。今日から新しい年度が始まりました。年度という概念は私たちの仕事にはほとんど関係無いものなのですが、物事の区切りということで意気込みなどをつらつらと。
自分が大雪山に対してできることは何か?というようなことをよく考えます。それも、他の人にできないことで、自分にしかできないことは何だろう、と。結論から言ってしまうと、それは「現場と研究の橋渡し」だと思っています。現場とはガイドをはじめとする山で働く方々を指し、研究とは大雪山国立公園をフィールドとして調査研究を進める研究者の方を指します。
その両者の橋渡しをするとはどういうことでしょうか?現場で働く方々は驚くべき知的好奇心と知識への欲求を持っています。これはもう、その辺の学生に爪の垢を煎じて飲ませたいほどです。しかし残念ながら、先端の知識に接する機会はほとんど全くありません。先端の知識はいつも一般の人の目が届かないところで「論文」という形でしか披露されないからです。残念ながらそれは、調査研究が目と鼻の先の大雪山で行われていても同じことなのです。一方、研究の場では知識の普及の必要性は認められてはいます。認められてはいるのですが、ただ、その方法がわからないのです。研究者というのは、論文を書き研究者仲間にその成果を発表する訓練は受けますが、一般向けに成果を披露することについては慣れていません。このような両者の実情を知ると、その様はまるで赤い糸のつながった同士のようです。お互いに欲しあっているのです。ただ、両方に通じた人間さえいれば、お互いに相補い合うことができます。
もしこの橋渡しがうまくいけば、それは現場の人間と研究者とのお互いにとって有益なだけでなく、国立公園管理という視点からも重要な意義を持ちます。なぜなら、これからの国立公園管理には地元の人間、就中現場をよく知っている地元の人間の参与がなくてはならないはずだからです。経験的な知識に、それらの知識を紡ぐ理論を加えることができれば、これ以上はない頼もしい人材となるでしょう。そういう意味でも誰かが橋渡し役を担わなければなりません。
私は、大学院で国立公園管理の研究をしながら同時にガイドの仕事を始めたので、両方の事情に同じ程度ずつ通じていました。私はガイドとなってまだ日が浅く、ガイドとしての技量ではまだまだ諸先輩にかないません。また、大学院教育を受けたとはいえ修士課程を修了しただけですから、研究者としても入り口から中をのぞき見た程度のものです。ガイドとしても研究者としても未熟で、軸足を2本持つどっちつかずの中途半端な立場だといえるかもしれません。ですが、見方によって、またやりようによってはこれは大きな武器ともなるはずです。ガイドをはじめとする現場の実情と、研究の場の実情をともに体感していて、そしてそれぞれの場で何が求められているのかを知っている人間はそう多くはないはずだからです。地域を大雪山に限定すると、ほとんどいないといってもいいのではないでしょうか。だからこれは他の誰もできない、私だけに与えられた仕事なのだ、と信じています。
若手の研究者を講師に招き山の中で勉強会を行っていることも、その模様をDVD化して配布していることも、地元で講演会を開くことも、すべてこの文脈の中に位置づけられます。今後この橋渡しの役割を深化させるために、ガイドとしても成長しかつ研究もやめずにいたいと思っています。とりあえずは修士論文を元に投稿論文を書き上げないと・・・。これは4月中の課題です。
ちょっと大言壮語気味に語ってしまいましたが、今日はウソをついてもいい日らしいので。
自分が大雪山に対してできることは何か?というようなことをよく考えます。それも、他の人にできないことで、自分にしかできないことは何だろう、と。結論から言ってしまうと、それは「現場と研究の橋渡し」だと思っています。現場とはガイドをはじめとする山で働く方々を指し、研究とは大雪山国立公園をフィールドとして調査研究を進める研究者の方を指します。
その両者の橋渡しをするとはどういうことでしょうか?現場で働く方々は驚くべき知的好奇心と知識への欲求を持っています。これはもう、その辺の学生に爪の垢を煎じて飲ませたいほどです。しかし残念ながら、先端の知識に接する機会はほとんど全くありません。先端の知識はいつも一般の人の目が届かないところで「論文」という形でしか披露されないからです。残念ながらそれは、調査研究が目と鼻の先の大雪山で行われていても同じことなのです。一方、研究の場では知識の普及の必要性は認められてはいます。認められてはいるのですが、ただ、その方法がわからないのです。研究者というのは、論文を書き研究者仲間にその成果を発表する訓練は受けますが、一般向けに成果を披露することについては慣れていません。このような両者の実情を知ると、その様はまるで赤い糸のつながった同士のようです。お互いに欲しあっているのです。ただ、両方に通じた人間さえいれば、お互いに相補い合うことができます。
もしこの橋渡しがうまくいけば、それは現場の人間と研究者とのお互いにとって有益なだけでなく、国立公園管理という視点からも重要な意義を持ちます。なぜなら、これからの国立公園管理には地元の人間、就中現場をよく知っている地元の人間の参与がなくてはならないはずだからです。経験的な知識に、それらの知識を紡ぐ理論を加えることができれば、これ以上はない頼もしい人材となるでしょう。そういう意味でも誰かが橋渡し役を担わなければなりません。
私は、大学院で国立公園管理の研究をしながら同時にガイドの仕事を始めたので、両方の事情に同じ程度ずつ通じていました。私はガイドとなってまだ日が浅く、ガイドとしての技量ではまだまだ諸先輩にかないません。また、大学院教育を受けたとはいえ修士課程を修了しただけですから、研究者としても入り口から中をのぞき見た程度のものです。ガイドとしても研究者としても未熟で、軸足を2本持つどっちつかずの中途半端な立場だといえるかもしれません。ですが、見方によって、またやりようによってはこれは大きな武器ともなるはずです。ガイドをはじめとする現場の実情と、研究の場の実情をともに体感していて、そしてそれぞれの場で何が求められているのかを知っている人間はそう多くはないはずだからです。地域を大雪山に限定すると、ほとんどいないといってもいいのではないでしょうか。だからこれは他の誰もできない、私だけに与えられた仕事なのだ、と信じています。
若手の研究者を講師に招き山の中で勉強会を行っていることも、その模様をDVD化して配布していることも、地元で講演会を開くことも、すべてこの文脈の中に位置づけられます。今後この橋渡しの役割を深化させるために、ガイドとしても成長しかつ研究もやめずにいたいと思っています。とりあえずは修士論文を元に投稿論文を書き上げないと・・・。これは4月中の課題です。
ちょっと大言壮語気味に語ってしまいましたが、今日はウソをついてもいい日らしいので。
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