2005-04-01

たまには希有壮大に

4月です。今日から新しい年度が始まりました。年度という概念は私たちの仕事にはほとんど関係無いものなのですが、物事の区切りということで意気込みなどをつらつらと。

自分が大雪山に対してできることは何か?というようなことをよく考えます。それも、他の人にできないことで、自分にしかできないことは何だろう、と。結論から言ってしまうと、それは「現場と研究の橋渡し」だと思っています。現場とはガイドをはじめとする山で働く方々を指し、研究とは大雪山国立公園をフィールドとして調査研究を進める研究者の方を指します。

その両者の橋渡しをするとはどういうことでしょうか?現場で働く方々は驚くべき知的好奇心と知識への欲求を持っています。これはもう、その辺の学生に爪の垢を煎じて飲ませたいほどです。しかし残念ながら、先端の知識に接する機会はほとんど全くありません。先端の知識はいつも一般の人の目が届かないところで「論文」という形でしか披露されないからです。残念ながらそれは、調査研究が目と鼻の先の大雪山で行われていても同じことなのです。一方、研究の場では知識の普及の必要性は認められてはいます。認められてはいるのですが、ただ、その方法がわからないのです。研究者というのは、論文を書き研究者仲間にその成果を発表する訓練は受けますが、一般向けに成果を披露することについては慣れていません。このような両者の実情を知ると、その様はまるで赤い糸のつながった同士のようです。お互いに欲しあっているのです。ただ、両方に通じた人間さえいれば、お互いに相補い合うことができます。

もしこの橋渡しがうまくいけば、それは現場の人間と研究者とのお互いにとって有益なだけでなく、国立公園管理という視点からも重要な意義を持ちます。なぜなら、これからの国立公園管理には地元の人間、就中現場をよく知っている地元の人間の参与がなくてはならないはずだからです。経験的な知識に、それらの知識を紡ぐ理論を加えることができれば、これ以上はない頼もしい人材となるでしょう。そういう意味でも誰かが橋渡し役を担わなければなりません。

私は、大学院で国立公園管理の研究をしながら同時にガイドの仕事を始めたので、両方の事情に同じ程度ずつ通じていました。私はガイドとなってまだ日が浅く、ガイドとしての技量ではまだまだ諸先輩にかないません。また、大学院教育を受けたとはいえ修士課程を修了しただけですから、研究者としても入り口から中をのぞき見た程度のものです。ガイドとしても研究者としても未熟で、軸足を2本持つどっちつかずの中途半端な立場だといえるかもしれません。ですが、見方によって、またやりようによってはこれは大きな武器ともなるはずです。ガイドをはじめとする現場の実情と、研究の場の実情をともに体感していて、そしてそれぞれの場で何が求められているのかを知っている人間はそう多くはないはずだからです。地域を大雪山に限定すると、ほとんどいないといってもいいのではないでしょうか。だからこれは他の誰もできない、私だけに与えられた仕事なのだ、と信じています。

若手の研究者を講師に招き山の中で勉強会を行っていることも、その模様をDVD化して配布していることも、地元で講演会を開くことも、すべてこの文脈の中に位置づけられます。今後この橋渡しの役割を深化させるために、ガイドとしても成長しかつ研究もやめずにいたいと思っています。とりあえずは修士論文を元に投稿論文を書き上げないと・・・。これは4月中の課題です。

ちょっと大言壮語気味に語ってしまいましたが、今日はウソをついてもいい日らしいので。

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