2009-12-05

近畿山行・5日目 大峯奥駈道4

11月15日(日) 晴れ一時霧

いつものように日が昇る前に目を覚まします。ヘッドランプの灯りを頼りに朝食を摂っていると、目の前の壁に設えられた曇りガラスがほのかに色づいたように見えました。もしかして、これ日の出?あわててカメラを抱えて外に飛び出します。すると。

ちょうど東側に続く山並みの向こうから太陽が顔を出しかけているところでした。オレンジ色に染まる空には雲がほとんどありません。昨日まではほとんど霧の中を歩いてきて景色なんてほとんど見られなくて、しかも雨がちでずっと雨具を着っぱなしでいました。苦節3日間。入山4日目にしてようやく清々しい朝を迎えられました。背中から吹き付ける冷たい強風も構わずに、しばらく日の昇るのを眺めてしまいました。

こうなればいつまでも小屋にいるのはもったいないというもの。素早く荷造りを終え、すぐに歩き出します。

昨日は国見岳から七曜岳にかけて岩がゴツゴツと露出した急な斜面を歩いてきましたが、今日は一転してたおやかな稜線散歩から始まりました。丘のようになだらかに左右に裾を延ばし、登り下りも激しくはありません。太陽があたりをあかね色に染め上げ、その中を景色を眺めながらゆったりと歩く。これこそ最高の山歩きというものです。

南に続いていた尾根はやがて向きを西に変えました。正面に高い山があるのがわかります。おそらくあれが目指す弥山に違いありません。ほとんど快晴といってもいいくらい晴れ渡っているにも関わらず、弥山山頂付近にだけ雲がかかっているのが気になります。気温が上がれば霧散してくれるでしょうか。

弥山に近づくと急に斜度がキツくなり、最初はつづら折りで高度を稼ぎ、やがて木の階段で真っ直ぐ登るようになりました。朝露に濡れているので慎重に一段ずつ足を進めます。

このあたりから弥山を目指す日帰り登山者の姿を見るようになりました。山頂までの間に5人とすれ違い、朝の挨拶をして、たったそれだけで心がホッと穏やかになります。そうか、考えてみれば今日は日曜日だったのです。しかもお天気。晩秋の山登りには絶好の日なのですね。もしかしたらこれから沢山の登山者と出会えるかもしれません。

快調に登りきってこれが弥山山頂。大きな建物がいくつもより集まっています。山上ヶ岳同様賑やかな感じの山頂ですが、こちらは宗教臭が全くしないのが特徴かもしれません。で、結局ここもガスのただ中。

数分歩くと奥に神社がありました。縁起によると、明治の修験廃止令以前にはここに聖護院御殿や三宝院御殿が立ち並び、「吉野熊野の奥院と称され、大峯本宮として位置づけられ」ていたそうです。

今日の目的地は深仙ノ宿。ガイドマップによると休憩を除いた所要時間が9時間35分とありました。かなりの長時間・長距離を歩くことになりそうなので、あまりゆっくり休憩もしていられません。すぐに次の八経ヶ岳へ向かいます。

弥山と八経ヶ岳は別の山というよりも、大きく広い山頂のあちらとこちらという感じで、さほど登り下りなしにすぐに移動することが出来ます。その途中、急に立ち枯れが目立つ箇所がありました。これはいったい・・・?そのわずかに先で、天然記念物オオヤマレンゲを鹿の食害から守るためのフェンスが張ってありました。まだ鹿の姿も糞も見ていませんし啼声も聞いていませんが、このあたりは鹿が多いのでしょうか。立ち枯れももしかしたら鹿と関係があるのかもしれません。

そして、やってきました。ここが近畿最高峰、標高1914.6m、八経ヶ岳山頂です。やっぱり?ここでも景色なし!今日で奥駈道は4日目になりますが、未だに山頂からの景色を見ていないのです。七曜岳でわずかに雲の切れ間を覗きはしましたが、ただ谷を見下ろしただけで連なる山並みを見られたわけではありません。まさかこのまま一度も景色を眺めることなく熊野まで行ってしまうなんてこと、ないでしょうね・・・。

なんていう心配は全くの杞憂に終わりました。八経ヶ岳からズンズン下っていくと、楊子ノ宿小屋くらいで雲の範囲からスッと抜け出て、これから進んでいく方向には青空が広がっていたのです。朝方見たように、弥山・八経ヶ岳の山頂部分にだけ雲がかかっていたようです。

楊子ノ宿から先のトレイルの楽しいこと。まずは仏生ヶ岳への登りが気持ちいいのです。苔と落ち葉に被われた林床に明るい陽光が射し、ほどよい間隔で並ぶ立木の影が鮮やかに描かれています。景色を眺めながらユルユルと登っていく至福。

仏生ヶ岳から孔雀岳に続く尾根がまた最高。標高1800m弱と、このあたりでは最も高いところに平らな尾根が続きます。ようやく高くて平らなトレイルを満喫できるのですから、嬉しくないわけがありません。しかも生えているのがモミ(の仲間)やダケカンバ(の仲間)。どことなく北海道にも似ていて親近感が湧きます。

景色も最高。南西方向にはどこまでも果てしなく続くような山景色が青空の下に広がっています。

孔雀岳を過ぎると、左手に深い谷底を見下ろすことができます。岩塔がいくつも並び立っていて、いかにも険しい感じがします。これが五百羅漢と呼ばれるものでしょうか。

そして目指す釈迦ヶ岳。きれいな三角錐の姿は他の山とは明らかに違い、遠くからでもよく目立っていました。初めて見た私でもすぐに同定できるくらい特徴的な山です。

でも残念ながら気持ちの良いトレイルは孔雀岳の先で終了。ここから釈迦ヶ岳までの間は、うって変わって岩が存在を主張するいやらしい道に姿を変えるのです。ガイドマップには、孔雀覗やら鐺返しやら両部分けやら橡の鼻やら、聞くだに恐ろしげな名前が危険マークと一緒に記されています。結局どこがどこを指し示しているのかはわかりませんでしたが、とにかく気を張りっぱなしでした。しつこいようですが、靴と荷物が・・・。

最後の最後に、これでもかと言わんばかりの急登が待っていて、ゼエゼエ言いながら釈迦ヶ岳に登りつきました。待っていたのはかの有名な釈迦如来像。大正時代にたった一人の強力が運びあげたという逸話があります。その像が真っ青な空を背景に立っていました。ついに4日目にして初めて、青空の下の山頂となりました。

振り返ると今日歩いてきた峰々。左手奥に弥山と八経ヶ岳、中央に仏生ヶ岳、右に孔雀岳。こうやって一日の行程を眺められるというのは素晴らしいものです。いつまでもここで座っていたいところですが、これからもうひと歩き残っています。

山頂からわずかのところに、もはや見慣れた石柱が立っていました。危なく見逃すところでしたが、よくよく見ると「玉置神社」の名が表示されています。今までは書いていませんでしたから、ここで初めて出てきたことになります。玉置神社は最終日かその前の日に訪れる予定の、山の中にある神社。距離はまだ30km以上ありますが、なんだかゴールが見えてきたようでフツフツとやる気が溢れてきます。

釈迦ヶ岳から標高差300mを一気に下って、今日の宿泊地・深仙ノ宿に到着しました。所要時間8時間35分。よく歩いたというか、よく登り下りしたというか。今日は、標高1400mからスタートして1900mまで登り、一気に1600mまで下ったかと思うとすぐに1800mに登り返し、最後の最後で1400mまで降りるというの行程でした。登り下りが多いにも程があります。

深仙ノ宿では小屋に泊まろうと考えていましたが、この景色を見て予定変更。ここにテントを張ることにしました。せっかく重たい思いして持ってきていますし、なによりここなら気持ちよく一晩を過ごせそうです。それに方角も抜群です。この開けている方向が東なので、うまく行けば明日はテントを開ければすぐに日の出を拝めるかもしれません。ちょうど風の通り道になっているのか、テントが吹き飛ばされそうな強風の中で設営を完了。久々のテント泊はやはり落ち着きます。

ここまで毎晩、神戸や大阪など地元FM局のラジオを聴いていましたが、ここに来てついに電波が入らなくなりました。山奥深くにやってきた感慨に浸りながら、やむなくAMに切り替えましたが、なんとNHK1局しか入りません。折しも昨日始まったばかりの大相撲福岡場所の中継が延々と続いています。途中で入るであろう天気予報を聴き逃すまいと、真剣に耳を傾けていたところ、どうやらちょっと最近の相撲事情に詳しくなってしまったようです。

今日の水場。その名も香精水。灌頂という儀式に用いる聖なる水だそうです。ここの水は岩から滴り落ちてくる程度でしかなく、そこから直接汲もうと思ったらどれだけ時間がかかるかわかりません。幸い、その滴る水を漏斗でポリタンクに集めておいてくださっていましたので、そこから注がせていただきました。

今日の行程
行者還小屋-弥山-八経ヶ岳-釈迦ヶ岳-深仙ノ宿
 06:28 行者還小屋 発
 07:54 弁天の森 着
 09:01 弥山 着
 09:33 八経ヶ岳 着
 11:06 舟ノ垰 着
 11:39 楊子ノ宿 着
 14:16 釈迦ヶ岳 着
 15:03 深仙ノ宿 着
所要時間:8h35
歩行距離:17.1km
累積標高:+1473m/-1391m

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